第69回 『銀行の自己資本比率規制の緩和って、どう?』
11/7に金融庁は「銀行の国内基準における自己資本比率規制を緩和する」ことを決めました。この緩和の中心は「銀行が保有している有価証券の含み損益(特に、今回の場合は「損失」)を、一部、自己資本に参入しなくて済むようにルール変更した」というものです。これによって国内を営業の基盤としている地域金融機関(特に、信金、信組など)は「含み損をあまり気にする必要がない」ので、「地域の中小企業に貸し出しを行うだろう」と金融当局は期待しているようです(少なくとも政治家からのコメントでは、そのように受け止められる発言が流れています)。
・・・でもね。。。
これはかなり"テクニカル"的なものであり、実体経済を考えれば"本当に意味あるもの"なのか否かについて非常に疑問です。
確かに銀行は自己資本比率によって規制されているのであり、自己資本の毀損が多い、または、毀損する可能性が高い場合には、リスクアセットを減らす必要があることから「中小企業への貸出を抑える(貸し渋り)」「中小企業への貸出の早期回収(貸し剥がし)」を行う可能性は否めないとは思います。でも、有価証券の(含み)損失額を自己資本に算入しなかった場合、その部分を「中小企業への貸出に回す」という行動につながるのでしょうか?
そもそも銀行の「有価証券運用」というのは、「貸し出しに回さなかった資金」の運用であり、言わば、銀行にとっての"余資運用"とも考えられるものです。しかも、今回の緩和の対象になっている有価証券は主に「株式」であり、株式運用というのは「中小企業貸出よりも実質的にはリスクが低い運用」と考えて行っているはずです。
とすると・・・
現状、経済実態は極めて不透明であり、「円高」「米国経済悪化」ということから、上場会社において"も"経営が困難になっている中で、中小企業の経営リスクは、まずます「高まっている」と考えられます。いくら「地域金融機関は中小企業とのリレーションシップが保たれている」といっても、外部要因における将来の経営リスクが高まりつつある現状では、この規制緩和によって「貸出余力が発生した」からといって、「では貸出を増加させましょう」とはいかないと思います。
つまり、本来、この規制緩和の対象になっている有価証券(株式)運用に充てていた資金とは、「中小企業貸出へ振り向けるのは危険」と考えて、敢えて「株式運用等に回していた」わけだから、有価証券"でも"失敗した分を「自己資本へ算入しなくてもよい」ということになったからといって、もっとリスクの高い(と考えられる)「貸出」へ回す可能性は「ない」と考えるのが「普通」ではないでしょうか。
したがって、今回の規制緩和では、確かに「銀行(特に地域金融機関等)は破たんの危機からは遠ざかる」ことになるので、その意味では「金融システムの健全性」を"表面的には"維持できるとは思いますが、"だから"といって、中小企業貸出の増加を期待するのは「無理だ」と思います(そもそも「数字を弄っただけ」に過ぎず、「金融機関が健全になった」わけではありません)。
また、今回の規制緩和の内容として「中小企業向け債権査定条件の緩和」というものもありますが、現在のような"リスクの高まった"しかも、"不安定な時期"に、貸出条件を緩和するというのは、「将来的なデフォルト率を高める」可能性があることであり、むしろ、逆に「問題だ」と考えます。
市場には「ルール」が必要であり、「ルール」は「困ったから変更して良い」というものではありません。といって、「全く変更してはいけない」とも言えませんが、中小企業等への貸出が「既存の金融システムの中で問題になっている」のは「今に始まった」ことではなく、以前からそうである以上、このように外部要因が厳しい折に「ルール変更をする」というのは逆効果の何者でもありません。
もし、それでも「現状あるルールを変更する」というのであれば、そもそも「現状のルール」そのものが「機能不全であった」ということに他なりません。「現在、世界的な不況」だから、"とりあえず"ということで「ちょこっと手当て」して「何とかなる」というものではないのであり、まして、小手先だけで「うまくいく」という種の問題ではありません。
そういう意味で、現在求められているのは「ルールの変更」などではなく、「ゲーム(つまり、「金融システム」)ぞのもの」を考え直す必要があると思っています。しかもその作業は、将に「今」が「やるべき時期」なのではないでしょうか。
当然そのためには「ビジョン」が必要です。
つまり、「今、どのような社会にしたいのか」を掲げた上で、それに向けて動かなければならないと思うのです。このような時期に、単に、「既存のシステムの修正・訂正」だけをやってみても、「また来た道」を歩むだけであり、これまでの「厳しい道のり(失われた10年 OR 15年)」は、やはり、「失われた」だけになってしまいます。
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