株式・資産形成講座 大前研一学長総監修
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第1回 絶句するほどお金に鈍い日本人

ゼロ金利政策解除にサプライズなし
長い間続いてきた量的緩和政策が終わる。日本銀行が5年4ヶ月ぶりにゼロ金利政策を解除した。政策的に誘導する無担保コール翌日物金利の目標を0%から0.25%に引き上げ、7月14日、発表した即日に実施した。
もっともゼロ金利解除は以前から予定されていたことで、市場は「解除されるのは確実、問題は解除の時期はいつなのか」と見つめていたわけだ。今回の発表のポイントは下の表にまとめたとおりだが、肝心なのはゼロ金利を解除したということだけだ。はたしてどこまで金利を上げるかは明確にしないままだ。とりあえず無担保コール、翌日物金利を0.25%に引き上げたにすぎない。その意味では「予想の範囲内」であって、サプライズはなかったといえる。

金融政策変更の主なポイント
ゼロ金利政策を解除し、無担保コール翌日物金利を0.25%前後で推移するよう促す
金融機関が日銀に担保を差し入れて資金を借りる「補完貸付制度」の基準金利(公定歩合)を現在の0.1%から0.4%に引き上げる
長期国債の買い入れ額は現在の月額1兆2千億円を維持する
先行きについては、極めて低い金利水準による緩和的な金融環境が当面維持される可能性が高い
景気の現状判断を「着実な回復」から「拡大」に変更する
資料:日本経済新聞2006/07/15


市場に流すお金の量で金利をコントロールしてきたが・・・・
下の図は、これまでの金利の推移と、日銀が市場に出してきたお金の量(日銀当座預金残高)をグラフにしたものだ。見たら分かるとおり、日銀は金利を強制的に下げる方法として、市場にお金を大量に流してジャブジャブにしてきた。
無担保コールローン金利と日銀当座預金残高の推移
そして最近は、市場に流すお金をずっと絞ってきた。絞ってきて、やっとゼロ金利を解除した。したのだが、あろうことか14日にまたジャブジャブにした。日銀総裁の福井さんはよほど怖かったのだろうか。
だからその影響で、国債の金利のほうが下がってしまった。本来なら国債の金利を高くしないといけなかったのに、逆に下がってしまった。つまり、一方の金利を上げておきながら、株も国債も下がったのだ。
さて、今回のゼロ金利政策解除についてだが、いまだにデフレだとかゼロ金利だと言っている連中がいるが、神経が正常とは思えない。親からの仕送りに慣れた放蕩(ほうとう)息子がいい歳してまだパラサイトをやっているようなものだ。日本の戦後の平均金利は5.5%ということになっている。年金だってそういう増加の仕方をしなくては計算が合わなくなる。
上記の図で赤線が示すように96年くらいから10年近くも1%以下が続いたために緊張感がすっかり失われているのだ。麻薬のような資金注入(グラフの水色部分)で緊急患者の痛みを取り除いているうちに、いつの間にかゼロ金利が当然のような体になってしまった。いわば麻薬中毒である。これでは日本経済は世界にごしていく体にはならない。一刻も早く正常な金利に戻すべきである。また、それでつぶれる会社はつぶさなくてはいけない。
世界で一番個人金融資産のある国では金利が高いほど一般国民に余剰資金がいきわたる。死に体の企業を救うのか、多くの優良貯蓄者にお金を送り届けるのか、政治は誰の方を向いていなくてはいけないのか、それが問われているのだ。


ゼロ金利解除でも多くの企業は影響を受けない
幸い市場では、さらに追加利上げを予想する声も聞こえている。今回のゼロ金利解除の政策は、今後どのような影響が考えられるのだろうか。それを考える前に、金利を決めるのは誰かを明確にしておこう。
金利を決めるのは、あくまでも市場だ。しかし、日本の場合は、政府がそれを理解していない。自分たちが金利を決めていると勘違いしているのである。ただし現実には、市場だけで決まらないこともある。それは、マネーサプライ側、つまりお金を供給する日銀が公開市場操作などで市場から国債などを買い取り現金を大量に放出するときだ。
しかしこれだけジャブジャブにしても、市場には資金ニーズがないのでどこも吸収してくれない。つまり経済活動があまり活発にはならない。こういう悲しい状況になっているのが今の日本なのである。
ゼロ金利解除については、勘違いした意見も耳にする。例えば「金利が上がるので企業も設備投資がやりにくくなる」と解説しているエコノミストを散見するが、これはとんでもない勘違いというべきだ。ここ数年というもの、企業の設備投資は自己資金内、減価償却内だけでやっているのだ。つまり銀行にはあまり依存していない。だから金利が上がったからといって設備投資を止めるわけではない。もともと銀行離れしてしまっており、借金してまで設備投資、という企業は昔に比べたら極端に少なくなっている。
なんといっても企業はここ1年だけで40兆円くらいの資金を蓄積している。それを投資に回しているだけだ。昔のように借金して投資をしているわけではない。そのことをマクロ経済学者は分かっていないのだ。ゼロ金利解除で苦しくなるのは、企業ではなく、むしろ住宅ローンなどを抱えている個人である。住宅ローンを自己資金でまかなえる人は少ないのだから。
ただ、負債の多い、支払い金額の高い企業は不利になる。そう新聞記事にも出ている。ということは、一番困るであろう企業は救ったはずのダイエー、西武といった会社になる。会社更生法などで思い切ってウミを出さなかったツケが出てくる可能性がある。またソフトバンクは、ボーダフォン・ジャパンを買収した積極戦略のために1兆8000億ものお金をファイナンスしなくてはいけない。株式市場が上がらないなかで金利が上がったときに戦略面で一番影響を受けるのは、会社の規模をかんがみればソフトバンクかもしれない。
ソフトバンクがボーダフォンを買収したときはLBO(Leveraged Buy-Out:買収先企業の資産または将来のキャッシュフローを担保に資金調達して行なわれる買収)を使った。いずれ調達した資金を返却しなくてはいけない。だが金利が上がった状況のなか、価格競争の始まった携帯電話市場からボーダフォンが生みだす利益できちんと返済できるのだろうか。もし不可能ならソフトバンク本体やヤフーなどを抵当に入れなくてはいけなくなる。ヤフーやISPとしてのヤフーBBも含めた独特の戦略で顧客拡大を急がなくてはならない。


ゼロ金利時代に見えた日本人の鈍さ
日本国民は、ゼロ金利の間に郵便貯金に240兆円ものお金を預けていた。わたしは、そんな国民があるはずがないと思っていたのだが、実は足元にあったのだ。本来、これは常識では考えられないことなのだ。タンス預金でも大して金利が変わらない。その部分は25兆円くらいと見積もられている。大半は税務署からも足のつく銀行と郵貯に置きっ放しだ。
金利がゼロに近いのにお金を預けたまま。ペイオフが始まって、預金のうち1000万円までしか守られなくなったときも、日本の銀行に預けたままだ。せいぜい1000万円を超えたらA銀行、B銀行と分散させて安心しているくらい。
だが、よく考えてみてほしい。銀行が倒産するときは、連鎖して共倒れになる銀行が出てくる。国内の銀行に1000万円ずつ分散させても安全というわけではないのだ。つまり、どこの銀行に預けておいても同じだ。
低金利の時代なのに、日本からお金が出ていかない。この国民性にわたしは絶句してしまう。それが日本人なのだ。
しかし、皮肉な話ではあるが、そういう国民性が世界中に知れ渡ったからこそ、日本に信頼が戻ったともいえる。
そういえばりそな銀行を救うときだって、誰も文句を言わなかった。それまではりそな銀行みたいなのを作ってはいけないというのが世界の常識だった。だが日本は、1500兆円もの個人金融資産、あるいは国の税金でも何でも使って、こうしたぼろバンクでも救うのだと決めた。それに対して国民は怒らなかった。世論の批判も受けなかったし、一般のマスコミも何も言わなかった。それが世界にとって日本の安心感を呼び、これで日本発の金融危機はなくなった、と日本の株を買いにきたわけだ。これにはわたしもびっくりした。
りそな銀行を救う、ゼロ金利でも逃げない――。すべての業界、市場関係者、専門家のロジックに対して反対のことを行うのが日本人なのだ。国民の反応の鈍さ、これが今の日本の真の姿だ。
どこかで日本人は目覚めるのだろうか。わたしは多分目覚めないと思う。今の日本人は、あちらの国の金利のほうが高くて得だと言われても、お金を動かさない。では、「それで生計は成り立つのか?老後の備えは?」と言ったら「できません」と答える。そのときは何とかなるだろう、とか、いざとなれば国が救ってくれるだろう、と他力本願だ。「そんなことではいけません。自分で考えてください」と言うと少しは考えるのだが、そういう考える力も日本の教育が奪ってきた。皮肉を込めて言えば、かつての文部省の大勝利である。

大前研一(おおまえ・けんいち)

1943年、福岡県に生まれる。早稲田大学理工学部卒業後、東京工業大学大学院原子核工学科で修士号を、マサチューセッツ工科大学大学院原子力工学科で博士号を取得。日立製作所原子力開発部技師を経て、1972年、マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク入社。以来ディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長を務める。

世界の大企業やアジア・太平洋における国家レベルのアドバイザーとして活躍のかたわら、グローバルな視点と大胆な発想で、活発な提言を行っている。
「ボーダレス経済学と地域国家論」提唱者。ウォールストリート・ジャーナル紙のコントリビューティング・エディターとして、またハーバード・ビジネスレビュー誌では、経済のボーダレス化に伴う企業の国際化の問題、都市の発展を中心として広がっていく新しい地域国家の概念などについて、継続的に論文を発表している。この功績により、1987年にはイタリア大統領よりピオマンズ賞を、1995年には米国のノートルダム大学で名誉法学博士号を授与された。
英国エコノミスト誌は現代世界の思想的リーダーとして米国にはピーター・ドラッカーやトム・ピータースが、アジアには大前研一がいるが、ヨーロッパ大陸にはそれに匹敵するグールー(思想的指導者)がいない、と書いた。同誌の1993年グールー特集では世界のグールー17人の一人に、また1994年の特集では5人の中の一人として選ばれている。
1992年11月には政策市民集団「平成維新の会」を設立、その代表に就任する。
1994年7月、20年以上勤めたマッキンゼー・アンド・カンパニー・インクを退職。同年、国民の間に議論の場を作ると共に、人材発掘・育成の場として「一新塾」を設立し、2002年9月まで塾長として就任。96年には起業家養成のための学校「アタッカーズ・ビジネス・スクール」を開設、塾長に就任し現在に至る。
現在、大前・アンド・アソシエーツ、大前・ビジネス・ディベロップメンツ、ビジネスブレークスルー(BBT757)、エブリデイ・ドット・コム(EveryD.com, Inc.)、ジェネラル・サービシーズ(GSI)の創業者兼代表取締役(いずれも株式会社)を務めるかたわら、アカデミー・キャピタル・インベストメンツ(ACI)およびIDTインターナショナルの取締役、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)大学院公共政策学部教授、オーストラリアのボンド大学の評議員(Trustee)兼客員教授。
2004年3月に韓国の梨花大学国際大学院名誉教授に、7月に高麗大学名誉客員教授に就任。ペンシルベニア大学ウォートンスクールSEIセンターのボードメンバーも兼ねている。2002年9月に中国遼寧省、および天津市の経済顧問に就任。
2005年4月に本邦初の遠隔教育法によるMBAプログラム(ビジネス・ブレークスルー大学院大学、現ビジネス・ブレークスルー大学大学院)が開講、学長に就任。経営コンサルタントとしても各国で活躍しながら、日本の疲弊した政治システムの改革と真の生活者主権の国家実現のために、新しい提案・コンセプトを提供し続けている。経営や経済に関する多くの著書が世界各地で読まれている。
趣味はスキューバダイビング、スキー、オフロードバイク、クラリネットと多彩。ジャネット夫人との間に二男。

近著:『東欧チャンス 〜脱中国?ニッポン人が知らない「中・東欧」の活用法〜』(小学館、2005年6月16日)
『ニュービジネス活眼塾』(プレジデント社、2005年5月30日)
『The Next Global Stage』(Wharton School Publishing、2005年3月14日)

大前研一のホームページ:http://www.kohmae.com
ビジネスブレークスルー:http://www.bbt757.com

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