大前研一メソッド 2022年9月6日

習近平の台湾統一シナリオに武力侵攻はない?

taiwan china

大前研一(BBT大学大学院 学長 / BOND大学教授 / 経営コンサルタント)
編集/構成:mbaSwitch編集

米国連邦議会のナンシー・ペロシ下院議長が2022年8月3日に台湾を訪問し、蔡英文総統などと会談しました。強く反発する中国は、翌4日から台湾周辺で大規模軍事演習を行い、弾道ミサイルを日本の排他的経済水域(EEZ)に落下させるなど、台湾をめぐる軍事衝突の緊張が一気に高まっています。

自民党副総裁の麻生太郎氏は同年8月31日に自身の派閥の研修会で「東シナ海や南シナ海、台湾海峡を含めて、きな臭い匂いがしてきていることは間違いない」と講演しています。

中国による台湾への武力侵攻はありうるのかーー。長年、台湾と中国の両国のアドバイザーを務めたBBT大学院・大前研一学長に、台湾情勢を正しく理解するための解説をお願いしました。

台湾へ武力侵攻すれば、中国は返り血を浴びる

ロシアによるウクライナ侵攻のアナロジーから台湾有事を懸念する声もあるが、「人民解放軍が台湾へ武力侵攻できる状況ではない」と私は見ている。

まず、台湾軍はいつでも人民解放軍と戦える。中国統一を謳(うた)ってきた国民党の影響もあり、戦争への準備はウクライナ軍の比ではないくらい万全だ。大国ロシアが小国のウクライナ相手に大苦戦する様子を見れば、人民解放軍は大陸側への直接反撃も念頭に入れると台湾を簡単に攻められない。

さらに経済の問題が大きい。もし台湾有事が起これば、中国の国内産業は即死する。中国の産業を支えているのは、実は台湾企業と台湾人だからだ。

台湾の大企業は、ほとんどが中国に進出している。例えば、中国最大級の食品メーカーである康師傅(カンシーフー)は、台湾の頂新グループが親会社だ。

同じ食品大手の味全食品も台湾企業の傘下だ。もちろん、半導体のTSMC、電子機器のフォックスコン(鴻海科技集団)、化学繊維など複合企業の遠東集団も大陸に広範な傘下企業を持っている。香港企業が深センで幅広く活躍したように、お隣の東莞市は台湾企業が集まっていた(今はコスト高から内陸部に移転した企業が多い)。

大陸には台湾人の働き手も多い。私が知る中国企業では、台湾の人が職長などの管理職に就いていることが多い。経営者に言わせると「中国の50代以上は、文化大革命期に赤本(『毛沢東語録』)ばかり読んでいたから経営がわからない」らしく、台湾人の優秀なマネジャーが必要とされている。

また中国の若者も、「小皇帝」と言って、一人っ子政策の影響でわがままに育った人が多い。私が中国・大連で会社経営をしていたときに、中国で一番優秀な清華大学の学生を採用したことがある。彼は大して会社に貢献していなかったが、「自分の同級生は会社からクルマを買ってもらって、今は運転手まで付いている。俺もそうしろ」と要求してきたときは、開いた口が塞がらなかった。彼のような「小皇帝」世代が、産業界で活躍して中国経済を引っ張っていくとは思えない。

従って、中国の企業経営には実務を担ってきた台湾の優秀な人材が不可欠だ。台湾の人口約2400万のうち、少なくとも100万以上が大陸の中国資本の会社で働いていると見ていい。

そんな中で台湾有事が起これば、台湾企業と台湾の人たちは一斉に引き揚げることになるだろう。事業継続が困難となり、中国の産業が即死するのは間違いない。

共産党幹部の子弟=太子党出身の習近平国家主席は、経済・経営に疎いので中台関係のリアルを理解していない可能性が高い。中国政府が「米中関係の対立を避けたい」と思っている節があるのは、叩き上げで出世した共青団(共産主義青年団)出身の李克強首相らが実情を理解しているということだろう。

一方で、米国の政治家も中台関係の実情について無知だ。バイデン大統領も、トランプ前大統領も、関税などで米中対立をいたずらに煽っている。だが、21世紀のボーダレス経済では、中国を抜きにしてサプライチェーンは考えられないし、その最重要の部分は台湾(そして日本と韓国)が握っているのだ。

民進党を潰し、香港方式で台湾を政治的に巻き取るのが習近平の策略

私から見て、習近平主席は返り血を浴びる可能性が高い武力侵攻とは違う方法で、台湾を巻き取ろうとしているように見える。台湾周辺の大規模な軍事演習は、目くらましのフェイントだ。彼が狙っているのは、香港方式だ。

香港で2014年に起きた「雨傘運動」や2019年からの民主化デモの鎮圧は、日本や欧米では、中国政府による弾圧と非難された。

私も、香港を政治的に巻き取ったのは露骨だと感じた。しかし現地の香港では受け止め方が違う。香港に住む知り合いの金持ちは「若い連中が騒いだけど、習近平がうまく抑えたおかげで静かになった」とむしろ評価していた。

習近平主席は、返還時に約束された「一国二制度」を守っているつもりだろう。香港国家安全維持法の施行で政治的に巻き取っても、経済や税制は維持している。法人税や個人の所得税などは中国に比べれば安いままの「二制度」状態なのだ。

さて、習近平主席が香港方式で台湾を中国の一部にするなら、欠かせない条件が、国民党の“政権”復活だ。

国民党は、第二次世界大戦後に台湾へ逃げてきた蒋介石たち外省人の政党だから大陸とのつながりが強い。一方、民主進歩党(民進党)は、戦前から台湾にいた本省人の政党で、1986年の結成時から「台湾独立」を綱領に掲げている。従って、現在の蔡英文総統が率いる民進党政権では、対話はおろか香港方式で巻き取ることは難しい。

これに対する習近平主席のやり方は、2021年11月のニュースで明確になっている。中国政府が、台湾の遠東集団に約85億円の罰金と追徴課税を支払えと命じた一件だ。遠東集団の徐旭東(ダグラス・シュー)董事長(会長)が、民進党に政治献金したことへのペナルティと見られている。

徐旭東氏は外省人で、フォックスコンの郭台銘(テリー・ゴウ)董事長と並んで北京と最も通じている経営者だ。だから、台湾の経営者は皆、相当驚いたに違いない。徐旭東氏ほど北京と親密な経営者が巨額のペナルティを課せられるなら、誰も民進党に献金できなくなる。かなりズル賢い民進党潰しだ。

習近平主席は外省人を中心とする国民党が選挙で勝利し、巻き取る策略を対話できる日を心待ちにしているのだ。

台湾は中国による統一に対して抗うべきか?

私が台湾で李登輝総統(当時)のアドバイザーを務めていた30年以上前は、本省人と外省人の区別がもっとハッキリしていた。

蒋介石たちが1949年に台湾へ逃げてきたとき、彼らは「ちょっとお邪魔します。中国本土を取り返すまで我慢してね」と本省人に説明した。いずれ中国本土に戻るつもりだったのだ。

私が李登輝のいる総統府を訪ねると、壁に中国全土を取り戻したあとの地図が貼ってあった。中華民国(台湾)総統の下に中国各省が統治される組織図も明記されていた。

だから、1989年に天安門事件が起きたとき、私はすぐ台湾の関係者に「いま北京に攻め込んだら世界中を味方につけて大陸を取り戻せるぞ!」とハッパをかけた。

ところが、外省人たちは「あんな貧乏な国を取ってどうするんですか」と本気にしなかった。彼らが大陸で、大学の同期などの昔の友人に会うと、「これいいね」と服から腕時計からみんな取られてしまうほどだという。人口10億の貧しい国を取るより、台湾を幸せな国にするほうがいい。攻められたら戦うけど、大陸を取り戻す気はないのだ、と私はそのとき理解した。当時の中華人民共和国は世界最貧国の1つであり、あの頃が外省人にとっては過渡期だったのだろう。

李登輝氏の政策で大成長した台湾企業が、大陸に本格進出したのは、2008年に就任した馬英九総統の頃だ。彼は国民党で大陸との関係が強かった。彼が総統のときに、中国大陸と「通商」「通航」「通郵」で交流する「三通」が公然と始まったのは大きい。“大三通”によって交通、通信、通商(ビジネス)の規制が大幅に緩和され、TSMCが江蘇省昆山市に工場を建設するなど、台湾企業が大陸に進出するようになる。

大陸から見ると、国民党の総統は話が通じる。中国から多くの観光客が台湾を訪れ、台湾は「いらはい、いらはい」の大盛況だった。

あのときは融和ムードになったが、2016年に蔡英文氏が総統に就任してから一転した。彼女は米国寄りで、共産党嫌いの強い姿勢を見せた。さらに香港の民主化デモ鎮圧を見て、台湾の人たちは「明日はわが身」と思うようになった。トランプ米政権以来の米中貿易摩擦もあいまって、台湾の緊張感は日に日に高まってしまった。

台湾問題についての私の考えは、李登輝時代から変わらない。国連で「台湾を国として認めろ」と頑張るから叩かれるので、台湾が国であるかどうかはもう争わない。「あるがままの台湾(Taiwan as such)」を磨いていこうという考えだ。台湾ほどの経済力と技術を持った国が、機能していない国連に頭を下げて加入させてもらう価値など国連にはないのだ。

「一つの中国」を実現したい習近平主席や、アジアに無知な米国の政治家に振り回されることなく、「あるがままの台湾」を引き続き追求してもらいたい。台湾企業と中国経済が不可分であるという実態を「台湾有事」に対する「抑止力」として万人に認めさせることが台湾の為政者にとって最重要、と私が考える所以である。

※この記事は、『プレジデント』誌 2022年9月16日号 を基に編集したものです。

大前研一

プロフィール マサチューセツ工科大学(MIT)大学院原子力工学科で博士号を取得。日立製作所原子力開発部技師を経て、1972年に経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク入社後、本社ディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長を歴任し、1994年に退社。スタンフォード大学院ビジネススクール客員教授(1997-98)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)公共政策大学院総長教授(1997-)。現在、株式会社ビジネス・ブレークスルー代表取締役会長。ビジネス・ブレークスルー大学学長。豪州BOND大学教授。