大前研一(BBT大学大学院 学長 / BOND大学教授 / 経営コンサルタント)
編集/構成:mbaSwitch編集部
日本(GDP世界第4位)とドイツ(同3位)の格差が拡大しつつあります。日本の名目GDPがドイツに抜かれて世界第4位に転落したのは2023年でした。内閣府の統計では、その差は約2455億ドルでしたが、IMF(国際通貨基金)の2025年4月時点の推定値によると、2025年は日本が約4兆1864億ドル、ドイツが約4兆7448億ドルで、差は約5584億ドルへと拡大する見込みです。両国のGDP格差が拡大する原因をBBT大学院・大前研一学長に聞きました。
【資料】
名目GDP(USドル)の推移(1980~2025年)(ドイツ, 日本) – 世界経済のネタ帳
日本のGDPが2010年に中国に抜かれたときは、「中国は人口が多いから」と負け惜しみを言う日本人は多かった。しかし、ドイツ相手に人口の言い訳は通用しない。2023年時点での人口は、日本が約1億2000万人に対して、ドイツが約8400万人。人口がおよそ3分の2の国に負けているのだ。当然、1人当たりの名目GDP(IMF2025年推定値)は、ドイツが約5万5911ドルに対して、日本が3万3956ドルと、完敗している。
日本とドイツはともに第二次世界大戦の敗戦国として再出発しているが、今では明暗がはっきりと分かれた。はたして、どこが分岐点となったのか。
先にリードしたのは日本だった。戦後、日本はロボット化や品質管理などの取り組みを推進。第2の波である工業化の流れに乗り、世界第2位の工業大国へと成長した。日米貿易摩擦が生じて米国の怒りを買い、1985年のプラザ合意で円高になるまでは、うまく成長していたと言っていい。
そんな日本をお手本にしようとしていたのが、同じく工業化を進めていたドイツだ。私はこれまで約200回、欧州を訪問しているが、実はそのうちの半分ほどがドイツだった。ドイツに行く回数が多かったのは、「日本が成功した秘密を知りたい」と各方面からお呼びがかかったからである。
たとえば南西部のバーデン=ヴュルテンベルク州ではローター・シュペート州首相(当時)は日本モデルに関心を持ち、ドイツ銀行の会長(当時はアルフレッド・ヘアハウゼン氏)とともに欧州中から大企業のトップを集めて、日本視点の提言を得ようとしていた。
ただ、ドイツは日本に学びつつも、差を詰めることはできなかった。主な理由は2つある。一つは組合だ。日本のメーカーは産業ロボットを導入したが、ドイツは自分たちの雇用への影響を恐れた組合との協議が重視され、導入は緩やかだった。
もう一つは人口である。当時は東西ドイツ統一前で、西ドイツの人口は約6300万人と、日本の半分程度にすぎなかった。GDPで日本に追いつこうとしたら、理論上では倍の生産性を実現しなければいけない。ロボット化が進みにくいドイツでそれを望むのは無理な注文だった。
工業化で差がついた日本とドイツだが、次のアクションは同じだった。米企業に対するM&Aだ。
ドイツの三大化学メーカー、BASF、バイエル、そしてヘキスト(現在はサノフィに統合)は、こぞって米企業を買収した。たとえばヘキストは1987年にセラニーズを買収して、米子会社と合併させている。自動車産業では、1998年にダイムラー(現メルセデス・ベンツ・グループ)が米ビッグスリーの一角であるクライスラーを事実上買収した。ただ、これらのM&Aはことごとく失敗に終わった。ヘキストはセラニーズを分離後も成果を上げられず、ダイムラーはクライスラーを売却せざるをえなかった。
米企業に対するM&Aで失敗したのは日本企業も同じだ。たとえば松下電器産業(現パナソニックHD)は、1970年代に米モトローラから家電部門を買収し、Quasarブランドを引き継いだが、モトローラ商標権は譲渡対象外で、北米では認知度の低いQuasarブランドでの展開を余儀なくされた。
日本とドイツの両国がM&Aで共に失敗した理由の一つは英語だった。かつてのドイツ人は日本人と同じく英語が得意ではなかった。ヨーロッパの中で北欧やべネルクス三国の国民たちは英語を比較的うまく操るが、フランス人やドイツ人は母国語に執着する傾向にあり、英語を積極的に学ぼうとはしなかった。ただ、英語が通じにくいと米企業のマネジャーや現場社員たちと適切なコミュニケーションが取れない。意思疎通がうまくいかなければ正しい情報は上がってこないし、現場の士気を上げることも難しい。こうした文化や言語のギャップで、日本もドイツも、米企業の経営に難航したのだ。
日本企業の対策が遅れた一方、ドイツ企業は大いに反省して人事戦略を見直した。多くの化学メーカーや自動車メーカーが、英語を使って経営ができる人材を管理職の登用条件とするといった方針を打ち出したのである。ドイツでは、化学メーカーや自動車メーカーは依然として人気の就職先であり、英語教育熱が一気に高まったのだ。
ドイツが反省したのは言語だけではなかった。ドイツ企業はメンバーシップ型の雇用が中心だったが、米企業を参考にしてジョブ型の雇用を一部導入。成果や役割をより重視した。
一方、多くの日本企業は、原因を十分に分析せず、改善につなげられなかった。反省がなければ、やはり同じ轍を踏む。パナソニックが象徴的だ。モトローラで成果を上げられなかった後、ソニーのCBSレコード買収に対抗してユニバーサル・ピクチャーズを傘下に持つMCAを買収するが、その経営にも失敗。大阪にユニバーサル・スタジオを建設すると、赤字続きでゴールドマン・サックスとMBKパートナーズを中心とする連合に売却してしまった。そして近年のブルーヨンダー買収もまだ効果を十分に出せていない。
加えて、第3の波であるIT化への対応でも差が出た。ドイツは日本と同じく中小企業が多い国だ。中小企業はIT化を進める資金や人材に乏しい。ただ、ドイツが国を挙げて「インダストリー4.0」を打ち出した2010年代、コンサルティング会社のローランド・ベルガーも政策構想に参画。中小企業向けに人材を送り込んでデジタル化支援を展開し、IT化が進んだ。
日本にもITコンサル会社はあるが、ターゲットは大企業であり、中小企業は置き去りにされている。工業化のときに日本能率協会や日本生産性本部、日科技連といった組織が中小企業の生産性向上に貢献したが、これらの組織はIT分野が弱い。日本にはドイツのローランド・ベルガーのように、中小企業のデジタル化を横断的に支援する民間プレーヤーが少なく、それが今も日本のDXの足を引っ張っている。
ドイツが日本を抜いた要因として、人口増加も見逃せない。西ドイツの人口は日本の半分程度だったが、東西ドイツの統一、トルコ系を中心とした移民の受け入れにより、人口が大幅に増加した。現在はおおまかに旧西ドイツ出身が60%、旧東ドイツ出身が25%、移民が15%と見積もられる。人口がピークアウトして、移民比率も3%と少ない日本とは対照的である。
ただ、ドイツの伸びは人口増だけに頼ったものではない。注目は生産性の高さである。かつて日本と同じく勤勉さが売りだったドイツ人も、今は長時間労働をしなくなった。残業を避ける文化が定着し、日系企業のオフィスに行くと、定時後に残っているのは日本から出向してきた社員くらいだという。
休日も多い。ドイツでは法律で最低でも年間20日(週5日勤務で換算すると4週間)の有給休暇付与が義務づけられているが、企業は法定以上の有休を与えており、一般的には年間30日程度の有休がある。平日30日に土日を合わせれば計6週間だ。たとえば、そのうち夏の4週間はイタリアなどでゆっくり過ごし、冬は1週間、子どもの学校のスキーウィークに合わせて雪山へ。さらに1週間は好きなタイミングで家族旅行を楽しむ。そういった休暇スタイルを取るドイツ人が増えている。
数字で見ても日本とドイツの差は明確だ。OECD(経済協力開発機構)によれば、2023年の1人当たりの年間労働時間は、日本が約1611時間なのに対して、ドイツは約1343時間。日本も働き方改革で労働時間は短くなっているが、遠く及ばない。
ちなみに働き者であるはずのドイツ人が働かなくなったのは、EU発足で他の欧州諸国の人生観が流入したことも一因だ。とくに影響を与えたのはイタリア人である。イタリア人は家族でバケーションを楽しむために働くが、ドイツ人も徐々にそれを真似るようになったとみている。
もちろん単に働かなくなるだけでは、生み出す富が減ってしまう。そこでドイツは経営の世界化やIT化でアウトプットを増やした。その結果、OECDの2025年統計では、ドイツの時間当たりの労働生産性(PPP換算。為替レートの影響を除いた各国の生産性)は約97ドルになった。これは日本の約57ドルと比べて約1.7倍。人口の差が縮まり、生産性が大きく上回るのだから、ドイツが日本を追い越すのは当然だ。
ドイツに比べ、日本は英語やジョブ型雇用、IT化、移民受け入れ、働き方改革と、すべてが中途半端である。BBT大学院を卒業した西村栄基氏の書いた『ドイツ人のすごい働き方』(すばる舎)が注目を集めている。今こそ現実を素直に受け止め、ドイツに学ぶ姿勢が必要だと思う。
※この記事は、『プレジデント』誌 2025年11月14日号を基に編集したものです。
大前研一
プロフィール マサチューセツ工科大学(MIT)大学院原子力工学科で博士号を取得。日立製作所原子力開発部技師を経て、1972年に経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク入社後、本社ディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長を歴任し、1994年に退社。スタンフォード大学院ビジネススクール客員教授(1997-98)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)公共政策大学院総長教授(1997-)。現在、ビジネス・ブレークスルー大学学長。豪州BOND大学教授。