
この論文から学ぶべき「大前研一メソッド」
<相手の「正しさ」「誤り」ではなく「信じている物語」を前提に交渉する柔軟思考>
「一つの中国」が歴史的には虚構だとしても、中国共産党と国民がそれを宗教と同様に信じている以上、正論で論破するのではなく、その前提を踏まえて摩擦を最小化する対応を取るべきだという発想。
大前研一(BBT大学大学院 学長 / BOND大学教授 / 経営コンサルタント)
編集/構成:mbaSwitch編集部
中国が日本企業へのレアアース輸出を制限し始めました。これは非常に重い経済的圧力となります。高市早苗首相の「存立危機事態」発言に中国が反発、日中関係は悪化する一方です。高市政権は対立を煽るのではなく、収束に向けて動くべきだと、BBT大学院・大前研一学長は指摘します。
発端は、2025年11月7日の国会答弁だった。立憲民主党の岡田克也議員が台湾有事での存立危機事態(密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態)について質問すると、高市首相は「(中国による)武力の行使も伴うものであれば、これはどう考えても存立危機事態になりうる」と見解を示した。
この発言に中国政府は反発。翌日には中国の薛剣(シュエジェン)大阪総領事がX(旧ツイッター)に「汚い首は一瞬の躊躇もなく斬ってやるしかない」と投稿した。さらに中国政府は自国民に日本への渡航自粛を要請、日本の水産物輸入手続き停止、日本関連のイベント中止など、立て続けに対抗措置を打ち出した。
軍事的な緊張も高まりつつある。2025年12月6日、沖縄沖の公海上を飛んでいた航空自衛隊機が、中国海軍の空母「遼寧」から発艦したJ15戦闘機から断続的にレーダー照射を受けたことを報告した。これまで中国軍から日本の艦船がレーダー照射を受けたことはあったが、航空機に対する照射は初めてである。
中国が強く反発するのは、高市発言が、世界に中国は一つで、台湾は中国の不可分の一部であるという「一つの中国」を掲げる中国共産党の立場を貶めるものだからだ。たとえ中国が台湾を武力で支配したとしても、それは内政問題であり、日本が首を突っ込む筋合いはないというわけだ。
とはいえ「一つの中国」という考え方は嘘まみれだ。高市発言を受け、中国の国連大使は、日本に対して「安保理常任理事国になる資格がない」と述べた。しかし、もともと国連の安保理常任理事国だったのは中華民国(台湾)で共産党の中華人民共和国ではない。
米国のニクソン大統領とキッシンジャー大統領補佐官が手助けして1971年10月に中華人民共和国が安保理常任理事国になった。このとき国際社会が台湾を国連から追い出したのは、台湾を中国の一部として扱うには無理があり、事実上「別の国」として切り離さざるをえなかったからだ。
その後、2000年代になって中国は「核心的利益」という言葉を使い始め、台湾問題を国家利益にかかわるものの一つに位置づけるようになった。 ただ、それも裏を返すと、それまでは 「一つの中国」にこだわっていなかったということである。そもそも中国4千年の歴史で、中国が一つにまとまっていたことはほとんどない。
ところが、今では中国政府はもちろん、中国国民も「一つの中国」が本来あるべき姿だと信じ込んでいる。中国は14億もの人を政府ではなく中国共産党が支配する。もはや宗教団体と変わらない。そういうものだと繰り返し説かれるうちに国民は疑うことをやめてしまうのだ。
今、中国国民が高市発言に憤慨しているのも、ベースに宗教と化した中国共産党の教えがあるからだ。中国4千年の歴史や国連安保理常任理事国入りの経緯に蓋をして、「一つの中国」こそ真理だと思い込んでいるのである。
「一つの中国」は、中国共産党が打ち出した宗教的なフィクションにすぎない。問題は、中国と付き合うときに「それは間違いだ」と正論をぶつけても平和は訪れないということである。論争には踏み込まず、その先で中国と付き合えばいい。
日本の歴代自民党政権は、そのことを理解していた。台湾有事について備えつつも、あえてあいまいさを残すことで緊張が高まらない工夫をしてきた。ところが高市首相は勇ましいところを見せようとしたのか、踏み込んだ発言をしてしまった。念のために言っておくが、私は中国が台湾海峡で武力行使をしたとき、日本が集団的自衛権を行使するケースがあることに異論はない。
ただ、高市発言は大事なところが抜け落ちていた。日本が集団的自衛権を行使するには、同盟国米国が攻撃を受け、それにより彼らに基地を提供している日本の国土が攻撃され、国の存立が脅かされる状態にならなければいけない。その状態から米国が参戦してはじめて集団的自衛権が行使できる。
たとえば米国のグアム基地が攻撃を受けても日本の存立に関係するとは限らない。法的な前提を飛ばしているから、誤解を招いてしまう。踏み込まないのが一番だが、言及するならばもっと丁寧に説明すべきだった。
私は実際に台湾有事が起こる可能性は高くないとみている。台湾にはミサイルがあり大陸の主要都市を攻撃できるし、中国軍は台湾上陸後、ゲリラ戦に悩まされる。大規模な人的被害のリスクを負ってまで武力侵攻するとは思えない。実際、米パランティア・テクノロジーズ社によると上陸した中国軍への兵站が難しく、侵攻は失敗に終わる可能性が高いとの分析だ。
習近平国家主席の頭の中にあるのは、おそらく香港方式だ。中国は1997年に英国から香港を返還された。このとき50年間は一国二制度を維持すると約束していたが、選挙制度に手を加えて香港の中国化に成功した。台湾では、国民党が「トップを自分たちで選べるなら」という条件付きで対中宥和を模索している。習主席は国民党をひとまず取り込んで、あとで事実上の共産党支配に変える腹だろう。
香港方式を目指しているなら、高市発言に過敏に反応する必要はないと考える人もいるかもしれない。しかし、武力行使のオプションを捨てたわけではない。また、中国は面子を大事にする国。たとえ武力行使するつもりがなくても、「一つの中国」にケチをつけられただけで反発する理由になる。
国内事情も見逃せない。中国の不動産不況は打開策がないほど深刻化。対米関税の影響もあって経済は完全に失速している。結果、若者の失業率は2025年8月に18.9%と過去最高を記録。内政で行きづまった共産党にとって、高市発言は渡りに船だ。国民の不満を日本に向ければいいガス抜きになる。その意味でも、高市発言は不用意だった。
大切なのは今後の対応である。ここまで対応が遅れてしまった状況で発言撤回や謝罪をすれば日本国民の怒りが爆発し、高市政権は持たないだろう。中国の抗議で倒閣したという成功体験を中国に与えるのもよくない。
私が交渉人なら次のように話す。
「中国が武力ではなく対話で台湾と関係をよくすることを望む。それがかなわないとしても、在日米軍や自衛隊の基地を攻撃しないことを保証すべき。確約すれば日本は台湾有事を傍観する」
ただ、乗り越えるべき壁は残っている。日本にはそもそも対中国のパイプがほとんど残っていないのだ。前回、日中関係が極端に冷え込んだのは尖閣諸島を国有化した2012年だった。関係が悪化した原因の一つは、当時の民主党政権が中国にコネがなかったこと。尖閣諸島国有化の経緯を説明するために外交に実績がある長島昭久副幹事長(当時)が訪中したが、党を指導するチャイナセブンにも会えなかった。
高市政権が事態を収拾するには、次の3つのルートしかないだろう。
1つは旧田中派ルート。日中国交正常化を実現した田中角栄元首相は親中派で、田中派も小渕恵三元首相の時代までコネがあった。田中派の流れを汲む茂木敏充外務大臣と小渕優子議員のセットなら可能性はある。
2つ目はトランプルート。トランプ大統領に泣きついて、習主席をなだめてもらうのだ。ただ、トランプ大統領はエプスタイン問題で余裕がないため、どこまで力を貸してもらえるのかはわからない。またインフレで支持率が落ちているので中国とよりを戻して物価を下げることに夢中だ。さらに、トランプ米大統領が唱え始めた「ドンロー主義」は、日本を含む「東半球」での米国の存在感低下を示唆する。
もっとも可能性があるのは3つ目の創価学会ルートだ。池田大作名誉会長は中国共産党と良好な関係を築いていた。そのパイプは公明党にも引き継がれている。
そもそも高市政権が自民党と日本維新の会の連立になったのは、公明党が連立を解消したからだ。公明党の斉藤鉄夫代表は離脱表明4日前に中国の駐日大使と会っており、この面会が連立離脱に影響を与えたと噂されている。
尖閣諸島国有化後の関係悪化では大規模な反日デモが起きて日系企業が被害に遭った。今回も放置すれば日系企業や日本人が襲われるおそれがある。日本を本気で守るつもりなら、連立離脱の経緯は水に流して公明党に仲介を頼むべきだ。「公明党が政権に加わっていれば今回のようなことは起きない。連立に戻り、日本との関係を正常化してもらいたい」と伝えればいい。それが日本を不測の事態から回避させる首相としての責務だろう。
※この記事は、『プレジデント』誌 2026年1月16日号 を基に編集したものです。
大前研一
プロフィール マサチューセツ工科大学(MIT)大学院原子力工学科で博士号を取得。日立製作所原子力開発部技師を経て、1972年に経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク入社後、本社ディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長を歴任し、1994年に退社。スタンフォード大学院ビジネススクール客員教授(1997-98)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)公共政策大学院総長教授(1997-)。現在、ビジネス・ブレークスルー大学学長。豪州BOND大学教授。