
この論文から学ぶべき「大前研一メソッド」
<事件を個人の問題ではなく「歴史・構造」で理解する>
安倍元首相銃撃事件を、単なる個人犯罪として片付けず、
・旧統一教会の日本への歴史的怨念
・献金・合同結婚式などの組織的搾取
・日本政治との関係
といった長期的な視点で背景構造から読み解く。
世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に対し、東京高裁が東京地裁の決定を支持し、宗教法人法に基づき解散を命じました。一方、高裁決定を不服として、旧統一教会側は2026年3月、最高裁に特別抗告しました。高裁決定を受けて清算手続きが始まっており、最高裁で判断が覆らない限り継続されます。旧統一教会は宗教法人格を剥奪されるものの、任意団体として活動を継続するのではないか、自民党との関係を続けるのではないかとBBT大学院・大前研一学長は危惧します。
大前研一(BBT大学大学院 学長 / BOND大学教授 / 経営コンサルタント)
編集/構成:mbaSwitch編集部
安倍晋三元総理を殺害した山上徹也被告の裁判員裁判で、2026年1月2日、奈良地裁は求刑どおり無期懲役の判決を下した。被告側が控訴したため裁判はまだ続くが、この事件が明らかにした旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の問題について整理しておきたい。
山上被告の生い立ちは不幸の連続だった。父親は4歳のときに自殺して、その後、旧統一教会に入信した母親は家を売却してまで献金した。総額は1億円超と見られ、母は自己破産、兄は自殺してしまう。その怒りを山上被告は教会にぶつけようとしたが、コロナ禍で教会幹部の来日が実現せず、2022年7月、安倍元総理を代わりに銃撃した。この犯行に対し、奈良地裁は被告の生い立ちに不遇な面があったと認めつつ、そのことと犯行には飛躍があり、生い立ちの影響を大きく認めることはできないとした。
もちろん暴力という手段に訴えたことは非難されてしかるべきである。無期懲役が重すぎるという声もあるが、事の重大性を考えると致し方ない量刑だ。ただ、「生い立ちの影響は大きくない」という裁判所の評価には疑問が残る。教会と山上被告のあいだにあったのは恨みの応酬だ。
教会創設者の文鮮明氏は、日本に対する恨みを持った文化の中で青年期を過ごした。戦時中に日本に留学経験があるが、その間も抗日地下運動をしていた。戦後に旧統一教会を設立すると、その5年後に日本で布教を開始する。とはいえ、本気でキリスト教を広めようとしていたわけではない。目的は日本人から搾取すること。「韓国は日本に搾取されたから、やり返してやろう」というわけだ。
旧統一教会が日本から搾取しようとしたものが2つある。一つは金銭だ。賠償金代わりに、日本で獲得した信者から献金させたのだ。信者がお金を出したくなるように、不安を煽って壺や印鑑を売った。いわゆる霊感商法である。
もう一つは女性だ。かつての韓国は男児選好の傾向があって、男女比のアンバランスが原因となり結婚できない男性が少なくなかった。そこで日本の女性信者を韓国の男性信者に嫁がせる集団見合いや合同結婚式を行った。教会が選んだ相手は事実上、拒否することができない強制マッチングだ。
旧統一教会は宗教団体の仮面を被りながら、日本への恨みを晴らすための巨大な集金・集婚機構として活動していた。その被害に遭った山上被告は恨みを晴らすために犯行に及んだ。まさしく恨みの連鎖である。教会が悪質だったとしても、「安倍元総理は関係ない」という声はあるだろう。しかし、旧統一教会と自民党とは蜜月の関係で、霊感商法や合同結婚式が社会問題化したときも静観していた。
旧統一教会は宗教を隠れ蓑にしていたが、韓国ではそれに加えて反共運動を展開して右派政権の庇護を受けていた。今、問題となっている金建希前大統領夫人の教会からのあっせん収財裁判をみても、教会が必死にその関係をつなぎ止めようとしていたことが浮き彫りになる。同じことを日本でも行おうと、日本の右翼を引き入れて1968年に国際勝共連合を設立。発起人に名を連ねたのが、自民党内に強い影響力を持っていた岸信介元総理だった。
自民党と旧統一教会がいかに密接な関係なのか、私は1995年に東京都知事選に出馬したときに身をもって経験している。選挙戦が始まると、ある噂が流れた。私が旧統一教会信者だというのだ。デマのもとをたどると、発信源は自民党の石原慎太郎議員と判明。抗議に行くと、石原議員は次のような釈明をした。自分が大田区から初めて選挙に出たとき、ポスター貼りを旧統一教会に手伝ってもらった。大前さんは1日でポスターを貼ったが、個人では不可能。だから朝の勉強会で「彼は統一教会じゃないか」と話した。断定はしていない。
この推測には尾ひれがついた。都知事候補を集めたテレビ番組に出たら、司会の久米宏氏に、「大前さんは在日韓国人という噂がありますが、本当なのか」と問われたこともあった。この噂も自民党が発信源ということがわかり、陸軍暁部隊の大尉であった父親の軍人恩給の証書を島村宜伸都支部長のところに持って行ったところ、ぴたっとやんだ。選挙戦も後半になった時期であり、無念さが残った。
私が1日で1万8000枚のポスターを貼ったのは、コンサルタントらしく、ロジスティクスの発想で赤帽(全国赤帽軽自動車運送協同組合連合会)に依頼しただけ。ただ、石原氏が勘違いした事情も理解できないでもない。自民党候補者には手足となって支えてくれる支援者が少なく、旧統一教会に頼らざるをえなかったからだ。
当時の社会党や共産党には労働組合、公明党には創価学会というように、各政党には選挙で汗をかいてくれる応援団がいた。一方、自民党の主な支持層は企業経営者や農家、商店主だった。
都知事選で私が商店街に行くと、「陰ながら応援します」とよく言われた。政策に共感はしても、「自民党との関係があるので表立っては応援できない」というのだ。しかし、「陰ながら応援します」と「応援しない」とは同義。得票にはつながらなかった。
では、商店主たちが表立って自民党を応援するのかといえば、そうでもない。ポスター貼りや街頭演説の仕切りといった地味な作業はタッチせず、たまに選挙事務所に顔を出す程度だ。こうなると自民党候補者は人手が足りず、アルバイトを雇うお金のない候補者はポスターも貼れなくなってしまう。
そこに目をつけて党内基盤を強化したのが岸元総理だった。田中角栄元総理は現金で候補者を応援したが、岸元総理は旧統一教会の若い信者を選挙スタッフとして派遣して候補者に恩を売った。派遣の元締めを受け継いだのが、岸元総理の孫である安倍元総理である。安倍元総理が連続在職日数歴代1位の長期政権を築いた背景には、旧統一教会との太いパイプがあったのだ。
私の知る限り、旧統一教会が自民党に働きかけて国政に介入しようとしたことはない。その意味で実害はないが、直接の被害に遭った山上被告にしてみれば、教会による被害に目をつむり、あまつさえお祝いメッセージまで送る安倍元総理が「あちら側」の人間に映ったことは想像に難くない。
事件後の2023年、文部科学省は旧統一教会に対する解散命令を請求。2025年に東京地裁は解散命令を決定。旧統一教会側は即時抗告したものの、2026年3月に開かれた高裁審理でも解散命令が決定し、教会は清算手続きに入った。長らく放置されてきた問題に光を当てたのはある意味で、山上被告の「功績」といえるかもしれない。
ただ、宗教法人としての法人格は失うが、宗教活動を禁止されるわけではない。選挙運動も然りで、汗をかいてくれる応援団が欲しい自民党にとっては今も大切にしたい相手である。かつて安倍元総理が担っていた「パイプ役」の座を狙っていたのが高市早苗総理だ。右翼思想の持ち主ではなかったが、権力に近づくために右に寄っていった。
高市総理は旧安倍派を離脱後、復帰を認められなかったことからもわかるように、党内や旧安倍派内に強い基盤は持っていない。対外的な人気はあっても党内基盤が弱い高市総理にとって、他の議員に恩を売れるパイプ役の座は喉から手が出るほど欲しいものだった。2026年1月15日号の「週刊文春」の報道によると、「TM特別報告書」には高市総理の名前が32回登場。「高市氏が自民党総裁になることが天の最大の願い」との記述もあったという。
【資料】統一教会「解散命令」のウラで週刊文春が報じた高市早苗、安倍晋三との接点、教団の問題点《極秘文書・TM特別報告書を詳報》
https://bunshun.jp/articles/-/86664
両者が接近した疑いがあるが、高市総理は「出所不明」と否定している。高市総理は2026年1月、通常国会冒頭で解散に踏み切った。異例の決断の裏には、旧統一教会問題が再燃する前に政権を安定化させたい思惑があったのではないか。実際に歴史的な大勝利を収めたのだから作戦は成功だった。
しかし、旧統一教会頼みの選挙を続ければ、政党としての足腰が弱っていく。私が自民党総裁なら、20年計画で組織をつくる。具体的には各大学に支部を置いて若者を組織化。同時に町内会レベルで地域にも組織を設置する。憲法だけでなく人口減少の日本をどう救うのか政策を明確に出して議論を積み上げていってもらいたい。
自民党は今でも県連の下に支部や学生部がある。ただ、県連は候補者の調整機能や集金機能が中心で、人材育成力や動員力は弱い。風が吹いていないときにも支えてくれるのは、草の根の、地に足のついた組織だ。
このまま旧統一教会との関係をうやむやにして依存度を高めるのか。それとも自浄作用を働かせることができるのか。第2の山上被告が出現しないように、自民党には後者の道を歩んでほしい。
※この記事は、『プレジデント』誌 2026年2月27日号を基に編集したものです。
大前研一
プロフィール マサチューセッツ工科大学(MIT)大学院原子力工学科で博士号を取得。日立製作所原子力開発部技師を経て、1972年に経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク入社後、本社ディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長を歴任し、1994年に退社。スタンフォード大学院ビジネススクール客員教授(1997-98)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)公共政策大学院総長教授(1997-)。現在、ビジネス・ブレークスルー大学学長。豪州BOND大学教授。