大前研一メソッド 2025年11月4日

国家像を持たない首相が続く日本の悲劇

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大前研一(BBT大学大学院 学長 / BOND大学教授 / 経営コンサルタント)
編集/構成:mbaSwitch編集部

2025年9月7日、石破茂首相が緊急記者会見を開き、退陣を表明しました。同年7月の参院選で過半数割れした責任を求める自民党内の圧力に屈した格好です。首相になって約1年。短命に終わった石破政権の総括についてBBT大学院・大前研一学長に聞きました。

まさか「首相就任」が人生の目的だったのか

岸田文雄前首相の自民党総裁任期満了を受けて自民党総裁選が行われたのは、2024年9月だった。1回目の投票では2位だったものの、決選投票で高市早苗議員を破って総裁に就任した。同年10月に国会で首班指名を受けて総理大臣になった。

同年に首相になるまで、石破首相は総裁選で4度敗退している。最初の立候補は2008年で、結果は立候補5人中最下位。その後も出馬を続けたが、議員票で後れをとり、冷や飯を食い続けた。5回目の挑戦での総裁就任は、まさに悲願であった。戦後の歴史を振り返っても、5回も挑戦して自民党総裁になった首相は石破氏以外にいない。

政治家が一国のリーダーを目指すこと自体はおかしくない。問題は、もはや「首相就任が人生の目的になっていた」ことである。あれだけしぶとく挑戦したのだから、就任後はそれまで温めてきた国家像を存分に打ち出すのかと思っていたが、何も出てこなかったのだ。

世界を見渡せば、若いころから抱いていた理念を成就させたリーダーは少なくない。

(1)ドイツのヘルムート・コール元首相

真っ先に思い浮かべるのはドイツのヘルムート・コール元首相だ。コール元首相は、ギムナジウム(ドイツの中等教育機関)時代にキリスト教民主同盟(CDU)に入り、チャンセラ(ドイツ首相の英語の通称)になることを夢見ていた。

1969年にCDU副党首になるなど早くから頭角を現していたが、実際にチャンセラーになったのは1982年。当時はまだ東西冷戦下にあったが、1998年にベルリンの壁が崩壊すると統一に向けて剛腕を発揮した。具体的には、西ドイツマルクは東ドイツマルクより、実質5〜10倍貨幣価値が高かったが、両国のマルクを一定上限までは東ドイマルクと西ドイツマルクを1対1で、それ以外は2対1で交換した。

旧東ドイツ住民には優しく、旧西ドイツ国民には厳しい政策だったが、旧西ドイツ国民はそれを受け入れた。コール元首相は東西ドイツ統一をビジョンとして掲げており、旧西ドイツの負担が増えることは織り込み済みだったからだ。コール元首相側から見れば、理想とする国家像を揺るがせることなく訴え続けてきたからこそ、それを成就できたのである。

(2)英国のマーガレット・サッチャー元首相

英国のマーガレット・サッチャー元首相も、若いころから描き続けてビジョンを実現させたリーダーだった。サッチャー元首相は20代で下院選挙に2度出馬したものの落選。弁護士資格を取った後、30代で下院議員になった。議員になってからは、シンクタンクの経済問題研究所(IEA)に接近して新自由主義の影響を受ける。当時の英国は労働党が強く、多くの国有企業を抱えていたが、首相に就任後は強い意思で民営化を推し進めた。

(3)日本の中曽根康弘元首相

日本で言えば、2回目の総裁選でトップに立った中曽根康弘元首相がそうだ。党内の権力闘争の中で「政界の風見鶏」と揶揄されていたが、「対米従属の戦後体制から脱却しなくてはいけない」という軸はブレておらず、首相就任後は「戦後政治の総決算」「日米イコールパートナー」を打ち出して新たな日米関係を築いた。

対して石破首相はどうだったか。若手のころからタカ派として鳴らしただけあって、就任直後こそ「アジア版NATO」構想を打ち出していた。しかし、米国から否定的な評価を受け、その後は腰砕けになっている。若いころから掲げていた国家像を実現していったリーダーたちとは雲泥の差である。

約80兆円の狂った対米投資合意

自身のビジョンを推し進めるかわりに石破首相がやったことは2つあった。一つは、トランプ関税への対応だ。

交渉を担当した赤澤亮正経済再生担当大臣は、米政府との合意内容を自画自賛していた。自動車に課せられた関税27.5%(従来分2.5%と追加関税25%)を15%に引き下げたのだから、そこだけを切り取ればたしかによくやったように見えなくもない。

しかし、問題は5500億(約80兆円)の対米投資だ。日米政府は2025年9月4日、対米投資についての覚書に署名した。それによると、投資先について、まず米側の投資委員会が案件を選定して、日米両国で構成される協議委員会と協議。そのうえで最終的に大統領が選定する枠組みになっている。

覚書どおりなら、日本政府も一応は協議に加われることになっている。

しかし事実上、日本政府に拒否権はない。実は覚書には、「日本が協議の末に資金提供をしなければ、米国は大統領の裁量で関税率を決められる」という内容も盛り込まれた。ラトニック商務長官は覚書署名直後のCNBCのインタビューで、対米投資について、米国が主導するだけでなく内容は大統領一任の旨を強調した。もし投資を拒めば関税を引き上げられる可能性が高いという脅し文句がついている。

投資先に歯止めがないことも問題だ。ラトニック商務長官は同じインタビューで、使いみちの一例として、アラスカへのパイプライン建設をあげた。アラスカにパイプラインを敷けばカナダの一部を通す可能性がある。いくつかの条件はあるが、投資の実行場所は米国内に限らないということ。イスラエルのインフラ整備に日本の資金が流用される恐れがあるし、パナマ運河の買収に使われるかもしれない。

利益配分もひどい。覚書によると、米国が定めるみなし配当額までは日米で利益を半分に分け合うが、それ以上は米90%、日本100%だ。これではリスクにリターンが見合わない。石破政権は日本の自動車産業を守るために年間税収約70兆円を上回る額を米国に差し出したようなもの。「狂った合意だ」と言っても差し障りない。

農政の本質的な問題は全くの手つかず

石破政権のもう一つの実績は、備蓄米の放出だ。高騰する米価を引き下げるため、政府備蓄米を小売業に直接流通させた点は評価ができる。ただ、備蓄米放出はボヤを消しただけの場当たりな政策にすぎず、日本の農政の本質的な問題は何も解決していない。

日本の農政が進めるべき政策は3つある。一つは大規模化だ。日本の米が国際競争力を持つには、農地を集約して効率を高めるしかない。農家の大多数は耕作面積が小さい弱小農家ゆえ、それを票田とする自民党は大規模化に及び腰。石破首相も同様だった。

大規模化すれば、弱小農家が食べていけなくなるが、それは営農(農業全般)に補助金を出すのではなく、生活支援に切り替えてケアすればいい。これが2つ目の政策だ。

3つ目が、日本米の海外進出支援だ。日本の農家が日本人の好む味の米を海外でつくれるように支援するのだ。そうすれば国内外の需要拡大につながる。一方で、今回の日米交渉で両政府はミニマム・アクセス米の枠内で米国からの輸入量を拡大することに合意した。枠の総量は変わらないため、米国から輸入する割合が増えれば逆にタイやオーストラリアからの輸入量が減ってバランスが崩れてしまう。

こうした歪みを緩和する一つの手がかりが、日本企業や農家が海外で生産した米の逆輸入である。JAを大規模化し、できれば株式会社として経営力をつけることにも踏み込まないといけない。海外産であっても日本人の嗜好に合う米を輸入できれば、国際的なバランスの問題は残るものの、国内の義務輸入と需要の帳尻は合わせやすくなる。こうした政策に踏み込まずに備蓄米放出で満足していたのだから、やはり石破政権には合格点をつけられない。

残念ながら、首相が高市早苗氏に代わっても「自分はこういう国をつくりたい」という国家像が伝わってこない。高市首相は今でこそ保守代表のような姿勢を示しているが、若手のころはリベラル色が強かった。「日本を再び強く」と言うなら弱くなった原因を述べて、それに対する強化策を展開しなければ主張は単なる「念仏」だ。解党的出直しというが、自民党は本当に解党したほうがいい。そう思わせる石破首相退陣劇と高市首相誕生である。

※この記事は、『プレジデント』誌 2025年10月31日号を基に編集したものです。

大前研一

プロフィール マサチューセツ工科大学(MIT)大学院原子力工学科で博士号を取得。日立製作所原子力開発部技師を経て、1972年に経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク入社後、本社ディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長を歴任し、1994年に退社。スタンフォード大学院ビジネススクール客員教授(1997-98)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)公共政策大学院総長教授(1997-)。現在、ビジネス・ブレークスルー大学学長。豪州BOND大学教授。