大前研一メソッド 2025年6月24日

万博は大失敗!大阪で失政が続く根本原因とは

Osaka world expo 2025
大前研一(BBT大学大学院 学長 / BOND大学教授 / 経営コンサルタント)
編集/構成:mbaSwitch編集部

大阪・関西万博(2025年日本国際博覧会)が2025年4月13日に開幕しました。いまのところ酷評しか聞こえてきません。失敗することは少なくとも2年前から明らかでした。2023年の下の記事でBBT大学院・大前研一学長が解説した通りです。

【資料1】万博もIRも、大阪経済の起爆剤にはならない

万博の失敗に追い打ちをかけて、閉幕後に計画されているIR(統合型リゾート)でも失敗し、これ以上、傷が深くならないことを願うばかりです。

根本問題は「大阪の政治体質」に潜む

大阪・関西万博の開幕から2か月あまりが経過し、万博協会は2025年6月23日、関係者を含めた総来場者数が同22日までに900万人を超えたと発表しました。

【資料2】来場者数と入場チケット販売数について

同23日の万博協会の理事会では、「運営費の収支ラインである2200万人の達成には、通期で1日平均12万人のチケット来場者が必要。今後は1日13万人のチケット来場者数を目指す」との見解が示された。開幕日以降の1日当たりの平均来場者数は10.9万人である。これから何かテコ入れしたとしても13万人を上回ることはかなり難しい。

1〜2時間は当たり前の待ち時間、内容に比べて料金が高すぎるレストランなど、不人気の理由を挙げるとキリがない。ただそれらの細かな理由はあくまでも表面的なものである。そもそも大阪・関西万博は経緯からしてデタラメであり、根本が間違えている以上、表面を取り繕ってもどうにもならないのである。

どこで大阪は間違えたのか。それを知るには、まず大阪の特徴を理解する必要がある。

大阪はもともと政治が強くなかった。1990年代半ばから、お笑い芸人出身の横山ノック氏が2回も知事に選ばれたように、知名度がすべてであり、庶民は政治に関心が薄かった。

そこに登場したのが、橋下氏が立ち上げた大阪維新の会である。維新の会は大阪を中心に置いて物事を考えるというメンタリティを持っていた。設立当初から人材育成に力を入れていたら、そのまま中央政党になって日本を変える可能性はあったと思う。しかし、党勢の拡大に人材が追い付かず、かき集めた人材は中身がなくて不祥事ばかりを起こしている。これでは地方政党からは脱皮できない。

もっとも、維新の会の前から大阪を日本の中心にしようとする動きがあった。これまでの経緯を振り返ってみよう。

(1)首都移転

その一つが首都移転である。1990年代、東京への一極集中を解消する目的で首都移転の議論が盛り上がり、岐阜・愛知や栃木・福島などいくつかの地域が名乗りをあげた。このとき大阪も関西を巻き込んで手を挙げている。大阪と京都・奈良が隣接するエリアは、大学が多くて学術都市の性格を持っていた。そこを中心に首都移転をしようと動いたのだ。ただ、首都移転議論が下火になったこと、関西のほうが南海トラフ地震のリスクが高いことから頓挫してしまった。

(2)埋め立て地を活用するためオリンピックを招致

もう一つの動きがオリンピック招致の動きである。発端は、現在万博が開催されている夢洲などの埋め立て地問題だった。大阪は、ポートアイランドや六甲アイランドで成功した神戸を真似て、此花区に広大な埋め立て地をつくった。ところがあのあたりは交通の便が悪い。そこを使いたいという事業者はほとんどおらず、埋め立て地は空き地が目立った。

現在、多くの観光客でにぎわうUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)も、2001年の開園当初は入場者数が伸び悩んでいた。もともと大阪市やパナソニックなどが出資する第3セクター方式だったが、2005年、経営不振になったところをゴールドマン・サックスが買収。後に韓国系ファンドのMBKパートナーズなども加わって再生させた後に、コムキャスト傘下のNBCユニバーサルに売却した。これがこのエリア唯一といっていい成功例だが、そのUSJでさえ苦戦を強いられる立地だったのである。

とはいえ、広大な埋め立て地を遊ばせておくわけにはいかない。そこで浮上したのが大阪オリンピック構想である。大阪では過去に何度もオリンピック招致の話があった。しかし、治安の悪い地区があるという負のイメージを払拭できず、最終候補地にすら残れなかった歴史がある。埋め立て地の活用という事情があって本腰を入れたのは、2008年開催地の招致活動が始まる1990年代だった。しかしそれも実を結ばず、最終候補の投票では最下位に。開催地は北京に決まり、埋め立て地の活用は、またもや宙に浮いてしまった。

(3)IR(平たく言えばカジノ)を誘致

その次に出てきたのがIR。平たく言えばカジノである。日本では2010年代にIR推進の機運が高まり、法整備が進んだ。それを受けて大阪では、2021年に米国でカジノを運営するMGMリゾーツと国内のオリックスのタッグが事業者に選ばれている。

(4)地下鉄などのインフラを整備するための口実が、万博

これで埋め立て地の使い道は決まったが、問題は地下鉄などのインフラ整備である。ただでさえ反対論の強いカジノであるためにインフラを整備したら「ギャンブラーのため、特定の民間企業を儲けさせるために税金を使うのか」と反発が起き、IRそのものが頓挫しかねない。堂々と公金で地下鉄を開通させる妙案はないか。そこでひねり出したのが、今回の大阪・関西万博である。

万博は社会インフラの整備と相性がよい。パリのエッフェル塔やシアトルのスペースニードル(テレビ塔)などは、万博開催を機に建てられた。大阪でも過去に1970年と1990年の2回、万博が開催されている。2回目の花博では、会場の鶴見緑地まで地下鉄鶴見緑地線(現・長堀鶴見緑地線)が新たに開通している。今回の万博も、真の目的はIRのためのインフラ整備にほかならない。公金を遠慮なく使う口実として万博が利用されているのである。

「本当の狙いが何であれ、万博が成功すればいい」と考える人もいるだろう。しかし、万博は「終わったフォーマット」である。1970年の1回目は「月の石」を見るために私も大行列に並んだ記憶がある。しかし、2回目の花博は大失敗で、その存在を覚えている人はほとんどいない。さらに今やネットやスマホの時代になり、万博で知識を得る時代は過去のものになった。お金をかけた2020年ドバイ万博も、結局は低調だった。

◆衰退産業のIRに、国民の血税をつぎ込むな

困ったことに、夢洲の”悪夢”は万博後も続くだろう。万博の跡地で開業する予定のIRも失敗する可能性が高いからである。

カジノは衰退産業である。たとえば東洋一のカジノとして栄えたマカオも、いまや閑古鳥が鳴いている。理由ははっきりしている。中国人のハイローラー(高額を賭ける上客)が壊滅したからである。

カジノはゴージャスな設備で集客する設備産業であるが、100ドル程度をチップに替えて、それがなくなれば部屋に戻るような観光客は相手にしていない。カジノの収益源の9割以上は、一晩に1000万円単位で遊んでいくハイローラーでありマカオは彼らを取り込むことで成長した。

仕組みはこうである。中国は開発の許認可と地方の役人が持ち、賄賂が横行している。ただ、お金を直接渡すと汚職が発覚しやすい。そこで業者は役人をマカオに招待する。最初に1000ドルを渡し遊んでもらい、業者はカジノ業者を通して役人に大勝ちさせる。表向きは自分で勝ったことになっているから罪に問われない。

しかし、習近平政権になって賄賂の取り締まりが強化された。抜け道が使えなくなり、世界中のカジノから中国人ハイローラーが大きく消失してしまったのである。

その他、スマホの影響も大きい。元通訳者の水原一平が捕まったように、そこそこのお金を賭ける客はオンラインカジノにシフトした。この二つの流れでカジノは完全に頭打ちになった。ラスベガスも、いまやMICE(展示会や会議)ビジネスや、ファミリー向け観光地で食いつないでいる。

カジノビジネスが縮小する中で、世界のカジノ業者が一縷の望みを託したのが日本だった。日本は競馬やパチンコが盛んで、ギャンプルの市場規模が大きい。財源が欲しい地方公共団体側の思惑ともマッチして、北海道、横浜、長崎など、さまざまな地域でIR推進が計画された。

ただ、パチンコのチンジャラ文化とカジノ文化は違う。また、日本でもプロ野球選手や芸人が摘発されているように(違法だが)オンラインカジノへのシフトが起きている。勢いパチンコまでスマホに飲み込まれて衰退し始めてしまった。地域それぞれに個別事情があるのだが、結局はほとんどの地域でIR事業者が撤退した。

唯一残ったのが大阪だが、世界の潮流を覆せるほどの強さがない。事業者自体はしっかりしているので、予定通りにIRは開業される可能性が高いだろうが、開業後、事業としてはかなり厳しいものになるだろう。

重要なのは、税金をこれ以上、つぎこまないことである。経緯が経緯だけに、万博を主導した維新の会も本気で責任を取るつもりはない。だから、自民党や国を巻き込んでお金を肩代わりさせている。万博失敗のコストはこれから議論になるだろうが、そのうえにIR失敗のコストまで背負わされたら、国民はたまらない。

大阪自体は大きなポテンシャルを持っている。USJはアジアの観光客に大人気のテーマパークになったし、うめきた地区の「グラングリーン大阪」など再開発の成功事例もある。こうしたものに投資したほうが大阪は成長できる。万博失敗を奇貨として、大阪にはぜひ復活を遂げてもらいたい。

※この記事は、『プレジデント』誌 2025年7月4日号 を基に編集したものです。

大前研一

プロフィール マサチューセツ工科大学(MIT)大学院原子力工学科で博士号を取得。日立製作所原子力開発部技師を経て、1972年に経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク入社後、本社ディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長を歴任し、1994年に退社。スタンフォード大学院ビジネススクール客員教授(1997-98)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)公共政策大学院総長教授(1997-)。現在、ビジネス・ブレークスルー大学学長。豪州BOND大学教授。