大前研一メソッド 2024年3月12日

「有事」か「第2の香港」か:台湾人の葛藤

Taiwan emergency

大前研一(BBT大学大学院 学長 / BOND大学教授 / 経営コンサルタント)
編集/構成:mbaSwitch編集部

台湾統一に向けて、中国の習近平国家主席は2024年3月6日、国政の助言機関、全国政治協商会議の関連会合で「平和的統一の過程を共同で推し進める」と発言した。

香港の自治権を中国は「平和的に」奪っていきます。同じように、台湾の独立も中国は「平和的に」奪っていく意向なのだろうと、BBT大学院・大前研一学長は予測します。

台湾を「第2の香港」にしたいという中国の意向は、台湾人も理解しています。台湾人は「有事」をとるのでしょうか。それとも「第2の香港」をとるのでしょうか。総統選挙の結果から台湾人の葛藤を大前学長が読み解きます。

台湾人は「有事」を望まない

2024年1月、台湾総統選が行われた。3政党によって争われた選挙戦を制したのは、中国共産党に対して「強硬路線」をとる民進党(民主進歩党)の頼清徳(らいせいとく)副総統だ。

敗れた国民党(中国国民党)の侯友宜(こうゆうぎ)氏と民衆党(台湾民衆党)の柯文哲(かぶんてつ)氏は、中国共産党との「対話路線」を掲げていた。

中国共産党に対する姿勢が選挙戦の争点となったわけだが、選挙結果を受けて「『台湾有事』が近づいた」と考えるのは早計だ。民進党は勝ったものの、選挙結果の中身を見れば、強硬路線を支持した台湾人は少数派であることがわかる。

民進党・頼清徳氏の得票率が約40.0%に対して、対話路線の国民党・侯友宜氏は約33.5%、民衆党・柯文哲氏は約26.5%。つまり、台湾人の約6割は対話路線を支持しているのだ。

私は選挙前から、今回の総統選では「対話路線の政党(単数でも複数でも)が過半数の支持を集める」と分析していた。蓋を開けてみたら実際にそのとおりになった。

長年、中国と台湾のアドバイザーを務めた私から見て、台湾人の本音は複雑だ。今回の選挙結果をより丁寧に読み解いていきたい

「親中国」vs「アンチ中国」の2択の狭間

台湾の民主化以来、国民党と民進党は2大政党として鎬(しのぎ)を削ってきた。2008〜2016年には国民党の馬英九(ばえいきゅう)氏が総統になり、中国共産党との対話を重視する政策で台湾経済を潤した。一方で、民進党は強硬な姿勢を示して独立を標榜する。政党のカラーが白黒はっきりしているため、選挙では自分が支持する政党の候補者を2択から選べばよかった。

しかし、今回の総統選はこれまでとは勝手が違った。第3政党である民衆党が、ダークホースに躍り出たのだ。

民衆党は、柯文哲前台北市長によって2019年に結成された。若者を中心に、国民党と民進党の2択しかないことに不満を抱える台湾人から広く支持を集め、2大政党を脅かす存在に成長した。柯文哲氏が台北市長時代に「両岸(台湾と中国)は一つの家族」と発言しているように、民衆党は対話路線である。

一時は、国民党と合流して総統候補を一本化する話が浮上していたほどだ。しかし、実際には候補者の一本化が実現せず、総統選は三つ巴の戦いのまま結末を迎えた。

総統選で国民党と民衆党が合流して候補者を一本化できなかったのは、台湾の人々の出自が影響している。

今回、外省人が「自分は外省人」という意識を持っていれば、国民党は昔と変わらず支持されただろう。しかし、外省人の2世、3世は台湾生まれで、「自分は“台湾人”」という意識が強い。従って若い世代は、いまだに外省人色が強い国民党を支持したがらない。かといって、台湾有事に巻き込まれるのは嫌なので強硬路線の民進党も支持したくない。そんな若者たちが、民衆党に投票しているのだ。

なぜ多くの台湾人は中国共産党との対話を望むのか。根底にあるのは、二つの心理だ。

心理その1:中国共産党と戦いたくない

まず一つは、中国共産党と戦いたくないというシンプルな思いである。1988〜2000年に総統を務めた李登輝氏の功績の一つに、「国防役制度」の導入がある。これは理工学系の大学院生を対象に、徴兵して軍事訓練を受けさせる代わりに、軍や政府の研究機関などに技術職として勤務させる制度。事実上の兵役免除であり、台湾の多くの学生は文系ではなく理系を目指した。

なかでも優秀な理工学系の学生は米国に留学した。彼らが米国の一流大学で学び得たものが、今日の台湾でエンジニアリングが開花していることにつながっている。このような流れができたのも、「厳しい軍事訓練は受けたくない」、「いざというときに前線で戦いたくない」—ーそんなふうに考える若者が多かったからにほかならない。

台湾では18歳以上の男子に徴兵の義務が課せられているが、実は民進党政権下の2018年、4カ月の訓練義務を残して徴兵制は一度終了している。しかし、台中情勢の緊張の高まりを受けて、2022年に蔡英文(さいえいぶん)総統が1年間の徴兵制を復活させた。

民進党は2020年の総統選で約57%の支持を得ていた。今回、民進党の支持率が約17ポイントも下落したのは、徴兵制の復活が得票率の低下につながったと見てよいだろう。とくに戦争になったとき実際に血を流すリスクが高い若者ほど、対話路線を支持するのだ。

心理その2:経済的に潤いたい

対話を望むもう一つの理由は、経済である。2008年に総統に就任した国民党の馬英九氏は、大陸との間で「大三通」を打ち出した。「通商」「通航」「通郵(通信)」という3つの交流を強化する大三通政策によって、大量の中国人が台湾に到来し、観光業を中心に経済が大いに潤ったのだ。

逆に台湾からは企業が大陸に行って現地に投資をした。通常、台湾から大陸に行くときの空路は香港経由に限られていたが、その他の多くの都市に直行便が就航した。香港の隣にある深セン市は香港系企業のテリトリーだ。そこで台湾企業は、深セン市の北側にある東莞(とうかん)市を中心に進出した。

当時は台湾企業が地元に落とす金を目当てに、多くの中国人が東莞市に集まった。馬英九総統のあとは民進党政権に代わったため、現在の東莞市には往時の熱気が残っていない。しかし、台湾企業は外省人を中心に飲料・食品、鉄鋼、セメント、繊維などの領域で今も中国大陸に深く浸透している。

なかでもインパクトがあったのが半導体だ。半導体は安全保障上も重要な産業だが、馬英九氏は大胆に規制を緩和し、TSMCの江蘇省の工場建設を可能にした。その様子を見て、米国の台湾系起業家も大陸を目指すようになった。台中関係の改善で、関わったみんなの懐が温まったのだ。

しかし、台湾に富をもたらした大三通も、長くは続かなかった。2014年に香港で起きた反政府デモ「雨傘運動」が、中国共産党に鎮圧される様子を見て、台湾の人たちは「明日はわが身」と思うようになった。

その結果、強硬路線の民進党に支持が集まり、米国寄りで、中国共産党嫌いの蔡英文政権が16年から2期8年続いている。民進党は台中対立に露骨に米国を引きこんだため、中国もますます強硬になっている。高まる緊張感に不安を覚える台湾人が多かったことも、今回の総統選で民進党への支持率低下に影響している。

台湾を分断させている「戸籍問題」とは

私は30年ほど前に、李登輝総統(当時)に新しい戸籍制度の提案をした。当時の台湾では、大陸に戸籍を持っている外省人は、本省人に対して優越感を抱いていた。外省人は数で劣るものの本省人よりあらゆる面で優遇されており、両者の溝が深まっていた。

そこで、現行の戸籍制度を撤廃して、「台湾で生まれた人は全員、台湾籍」にする。そうすれば外省人と本省人の区別がなくなり、いずれみんなが一様に台湾人となる。しかし、李登輝氏は「戸籍問題は時間が解決する。今は(外省人を刺激して)国内に混乱を引き起こすべきではない」と私の提案を拒んだ。李登輝といえども、日本での国会に相当する「立法院」で、権力を握る外省人を敵に回す勇気はなかったようだ。

そのツケが回ってきたのが、今回の総統選である。蒋介石が台湾に進行してからすでに75年が経過している。30年前に戸籍制度を刷新していれば、台湾人のほぼ全員が台湾籍になっていたはずだ。そうなっていれば民衆党の存在意義はなく、野党が国民党に一本化され、民意のとおりに対話路線を掲げる候補が総統に選ばれていただろう。

残念ながら現実にはそうならず、今回の総裁選では強硬路線の総統が、ある意味で民意に逆行して誕生した。しかし、約6割の台湾人は対話路線を望み、立法院の議席数でも野党が多数で、議長は国民党の親中派・韓国瑜(かんこくゆ)だ。

日本も、台湾有事の発生を望んでいない。台湾人が大三通のような過去の栄光を思い出し、中国と話し合いをして歩み寄ることはできるはず。中国共産党も、自国経済の大部分は200万人を超える台湾人が大陸で活躍している成果ということを認識し、いたずらに対立を煽(あお)るべきではない。民進党の新政権には、今回の選挙結果を謙虚に分析し、“台湾人”の民意を汲み取った対話路線の政治運営を期待したい。

※この記事は、『プレジデント』誌 2024年3月15日号 を基に編集したものです。

大前研一

プロフィール マサチューセツ工科大学(MIT)大学院原子力工学科で博士号を取得。日立製作所原子力開発部技師を経て、1972年に経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク入社後、本社ディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長を歴任し、1994年に退社。スタンフォード大学院ビジネススクール客員教授(1997-98)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)公共政策大学院総長教授(1997-)。現在、ビジネス・ブレークスルー大学学長。豪州BOND大学教授。