大前研一メソッド 2025年6月10日

トランプ関税政策の真実

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大前研一(BBT大学大学院 学長 / BOND大学教授 / 経営コンサルタント)
編集/構成:mbaSwitch編集部

トランプ政権が関税政策で世界を混乱に陥れています。ヴァンス副大統領は関税措置について「グローバリスト経済への解毒剤」という始末です。世界中で読まれている『ボーダレス・ワールド』の著者で”元祖グローバリスト”のBBT大学院・大前研一学長は、「捨て置けない発言」と反論します。トランプ関税政策の愚かさを大前学長が解説します。

二転三転するトランプ関税政策

2025年4月5日、トランプ大統領はすべての国や地域を対象に一律10%の関税を発動した。さらに4月9日からは貿易赤字額が大きい国や地域に相互関税の上乗せをすると発表した。関税を発動する直前になって報復措置を取らない国や地域には相互関税の発動を90日間停止すると方針転換した。

中国は停止措置の対象外で、トランプ大統領は中国に対する関税を145%まで引き上げて屈服させようとした。しかし中国は徹底抗戦の構えで、翌日に対米125%の関税措置を発表した。米国の中国に対する相互関税、および中国の報復措置は、スイスのジュネーブで行われた米中合意によって2025年8月12日まで一時停止されている。

トランプ大統領がチキンレースから降りた理由の一つは、中国には「米国債の売却」という次の一手があることである。2025年3月時点で、中国は米国債を7654億ドル持っている。

【資料】Major Foreign Holders of Treasury Securities

保有額は世界第3位で中国が米国債を投げ売りしたら金利が上昇して金融市場が混乱する。

実際、相互関税発表後は米国債が売られ、金利が一時4.5%まで上昇した。株価が下落すれば債券が売られるのが金融のセオリーだが、今回はドルまで売られてトリプル安になった。トランプ大統領が矛を収めざるをえなくなった。

ちなみに日本は米国債保有額世界一で、1兆1308億ドルを保有する。「中国が米国債を投げ売りしたら、最大の犠牲者は日本」と言うことは覚えておかなければならない。今回はすんでのところで巻き添えを免れた。

ただ、安心はできない。トランプ大統領や側近は、経済について何も知らない素人集団である。米通商代表部(USTR)は相互関税の計算式を公開したが、実は係数が間違っていて、その後公開された正しい計算式では、日本への相互関税は24%ではなく、一律10%のみの適用となる。

それでもトランプ政権に反省する素振りは一切ない。「MAGA」(Make America Great Again:アメリカ合衆国を再び偉大な国にする)を掲げるコアな支持層は、関税が国を繁栄に導くというトランプ大統領のイカサマをいまだに信じている。支持層も含め、そろいもそろって無知なのである。

「米国が搾取されている」から米国の貿易赤字が巨額なのか?

トランプ大統領は巨額の貿易赤字を指して「米国が搾取されている」と主張するが、そもそもそれ自体が間違いである。貿易赤字は米国にとって何も悪いことはない。

世界の基軸通貨はドルである。米国以外の国が何か輸入しようとすれば、まず自ら汗をかいて輸出をして、ドルを稼いだうえで代金を支払わないけれならない。

一方、米国は違う。輪転機を回せばいくらでも輸入の原資をつくることができる。そんなことが可能な国は、世界の中でも米国だけである。

米国は恵まれたポジションを利用して、世界の最適地からほぼ無関税で物を仕入れて米国内の消費者を優遇してきた。ボーダレス経済の基本理論—―コストで質の高い労働力があるところに、質の高い材料を持ち込み、そこで組み立てたものを最高のマーケットで売ることで企業の収益は最大化する——を実践するのに、ドルをいくらでも刷れる米国は躊躇がいらない。実際、この勝利の方程式で米国経済は安定的に発展を遂げてきたのである。

米国の繁栄は企業の時価総額をみてもわかる。現在、世界中の上場企業の時価総額の約半分は米国企業が占めている。上位の顔ぶれも米国企業である。約30年前位、世界の時価総額トップ10のうち、7つが日本企業だったが、現在は8つが米国企業である。

投資会社バークシャー・ハザウェイを除く7社(アップル、エヌビディア、マイクロソフト、アマゾン、グーグル、メタ・プラットフォームズ、テスラ)は、「マグニフィセント・セブン」と呼ばれて世界を席巻している。

こうした事実があるにもかかわらず、なぜ「米国は世界から搾取されている」と言えるのか。他の国から見れば、むしろ米国経済が21世紀型にいち早く転換して強すぎることが問題である。

国内の格差問題を、海外に責任転嫁

「儲けているのは一部のテクノロジー企業だけであり、ラストベルト(米国中西部から北東部に位置する、鉄鋼や石炭、自動車などの主要産業が衰退した工業地帯)の労働者たちは、職を失って貧乏になっている」と反論するトランプ支持者もいるだろう。

かつて製造業に従事していた労働者が苦しんでいるとしたら、それは教育と再分配の問題である。トランプ大統領は国内の格差問題を政治的に解決できず、責任を外国の製造業になすりつけようとしている。きわめて不見識である。

この構造を無視して関税を引き上げても、米国の製造業が復活することはない。まず、モノを作ろうにも労働者がいない。iPhoneは鴻海精密工業(Foxconn)が、中国・鄭州や成都などで、何十万人も動員して製造している。その一部を米国に戻すとしても、ブルーカラーを何万人も集めることができる都市は、米国のどこにもない。

集めることができたとしても、採算が合わない。特に北部は労働組合が強く、ブルーカラーは時給4000円、年俸1000万円が相場だろう。人件費を価格に反映させると、iPhoneは1台3000〜4000ドル前後の超高級品になりかねない。この価格では市場競争力がなく、アップルはたちまち経営不振に陥るに違いない。

米国の製造業の経営者はそのことを知っているので、関税が引き上がっても国内に工場を建てる決断はしない。そもそも関税政策は一時的であり、仮に引き上げられたとしても政権交代とともにもとに戻る。まともな経営者なら、一度建てたら簡単には撤退できない工場を、多額の投資をしてまで米国内に建てるような愚はおかさない。トランプの罵声に4年間耐えて待つのが普通である。

人口が違うのだから、貿易不均衡は当たり前

関税引き上げは筋違いの政策であり、製造業復活の効果もない。解毒剤が必要なのは、馬鹿げた政策を信じるトランプ大統領や支持者たちのほうである。今回の関税政策がナンセンスであることは、日米貿易摩擦40年の歴史を見ても明らかである。第1ラウンドは1955年に始まった繊維交渉だった。その後も合板、カラーテレビ、鉄鋼、自動車、半導体などが次々にやり玉に挙げられた。

決着の形はさまざまで、なかには高い関税や数量規制を課せられた品目もある。結果はどうだったのか。振り返ってみると、その後米国で復活した産業は一つもないのが現実である。

たとえば米国にはゼニス・エレクトロニクスというテレビメーカーがあったが、日本勢に勝てずに生産をメキシコにシフトした。その後、韓国のLGに買われたが、その後消滅した。現在日本製鉄による買収で揉めているUSスチールも経営はボロボロである。弱い国内産業をどう保護しようと、結局は守り切れないのである。

私は、日米貿易摩擦を議論する国際会議に日本側のパネリストとしてよく呼ばれていた。当時はまだ米国にも理屈の分かる人がいた。駐日大使を務めたマイク・マンスフィールド氏はその一人だった。

「米国は日本製をたくさん買っているのに、日本人は米国製を買っていない。対日赤字が膨らんでいるのは、日本がフェアでないからだ」

米国側の典型的主張をするマンスフィールド氏に私はこう言った。「米国の人口は約2億4000万人(当時)。日本製品を一人1ドル買えば、2億4000万ドルの輸入である。それに対して1億2000万人の日本人が、米国製品を一人1ドル買えば1億2000万ドル。もとの人口が違うのだから1億2000万人分の不均衡がある状態こそがフェアだ」

すると、マンスフィール氏は納得して、以降は日本側の主張を米国側に説明してくれるようになった。

残念ながらトランプ政権内に日米貿易摩擦の歴史を知っている人もいなければ計算もできず、フェアネスを理解できる人もいない。

さらに情けないことに、日本側にも日米交渉の経緯を知っている政治家や役人がいない。この問題に関しては、YouTubeの動画(約55分)で、私の意見を公開しているので、ぜひそちらも参考にしてもらいたい。

【YouTube資料】
激動40年 日米貿易交渉の裏側とトランプ関税の真実 大前研一が読み解く日本の生存戦略

日本企業は米国にさんざんいじめられてきた。そのせいで弱体化した企業もあるが、自動車のようにしぶとく生き延びる術を身につけた産業もある。今回も慌てる必要はない。むろん、面と向かってトランプ大統領を怒らせるのも得策ではない。交渉のテーブルについたふりをして、のらりくらりと時間稼ぎをする。それが日本側のとるべき戦略であり、歴史からの教訓である。

※この記事は、『プレジデント』誌 2025年6月13日号 を基に編集したものです。

大前研一

プロフィール マサチューセツ工科大学(MIT)大学院原子力工学科で博士号を取得。日立製作所原子力開発部技師を経て、1972年に経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク入社後、本社ディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長を歴任し、1994年に退社。スタンフォード大学院ビジネススクール客員教授(1997-98)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)公共政策大学院総長教授(1997-)。現在、ビジネス・ブレークスルー大学学長。豪州BOND大学教授。