大前研一メソッド 2024年4月23日

「ウクライナ敗北」が現実味を帯びる

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大前研一(BBT大学大学院 学長 / BOND大学教授 / 経営コンサルタント)
編集/構成:mbaSwitch編集部

ロシアがウクライナに軍事侵攻してから2年が経過しました。膠着している前線の戦況は予断を許しませんが、ウクライナ軍が反撃に転じるであろう希望はもろくも崩れ去りました。「ウクライナがロシアに敗北する」という事態が現実味を帯びてきています。ロシアおよびプーチン大統領、そしてウクライナおよびゼレンスキー大統領の状況をBBT大学院・大前研一学長に聞きました。

ロシア国内で盤石のプーチン大統領

現在、ロシアのプーチン大統領は我が世の春を謳歌している。2024年3月に行われたロシア大統領選挙で、プーチン氏は7627万票を獲得。得票率は87.28%で、圧倒的な支持を集めて再選を果たした。

従来、ロシアの大統領は一任期が4年間で、務めることができるのは連続2期までと規定されていた。現に、ボリス・エリツィン氏の後を継いで2000年に大統領に就任したプーチン氏は、規定に従って08年に首相へ退いた。

しかし、プーチン氏は首相在任中に、傀儡のメドベージェフ前大統領を使って次期大統領以降の一任期を6年に変更した。そして、2012年に大統領に再登板したプーチン氏は、2020年に憲法を改正し、大統領を務めることができるのを通算2期までとする一方、現職者である自分は対象外としたのだ。

憲法改正の結果、プーチン氏は2024年の大統領選挙の出馬が可能となり、先に述べたような大勝利を収めた。今回の任期は2030年までで、次の大統領選挙にも出馬が可能であることから、もはや終身大統領である。

憲法さえも自由に改正するプーチン氏にとっては、選挙も思いのままだった。反プーチンの急先鋒だったアレクセイ・ナワリヌイ氏を獄中死に導いたうえに、政権に批判的な候補予定者の立候補を認めなかった。「圧倒的勝利」が力ずくで演出されたことは明らかだ。

ただ、下駄を履かせたからといって、「本当はプーチン大統領に人気がない」と考えるのは間違いだ。

ロシアは前身のソビエト連邦の時代から貧しかった。ゴルバチョフ氏の改革でソビエト連邦が解体したあと、エリツィン氏が大統領に就任。ロシアの市場経済への移行を目指したが、インフレの加速が止まらず、ルーブル紙幣の価値が紙くず同然になった。

インフレは、年金額が変わらない高齢者の暮らしを直撃する。その窮地を救ったのが、エリツィン氏に引き上げられて年金改革をしたプーチン氏だった。多くのロシア国民にとって、今のプーチン大統領は自分たちを貧困から救い出してくれた恩人なのである。

ただ、国内問題を解決したものの、西側諸国との経済格差は依然として大きかった。さらに子分のような存在だった中国が急成長して、ロシアの先を行くようになった。

そこで、2000年に大統領に就任したプーチン氏は、ある決心をする。ロシア帝国繁栄の象徴であるピョートル大帝の「帽子」をかぶり、国民国家の枠組みを破壊して、版図を広げようとしたのだ。そのひとつが、2014年のクリミア併合で、現在のウクライナ侵攻はその延長だ。プーチン大統領は、西側諸国に対する経済的な劣等感の裏返しでおかしくなったのだ。

西側諸国のロシアに対する経済制裁の効果は低い

これに対して、西側諸国はウクライナを軍事的に支援し、ロシアに対しては経済制裁を行った。経済制裁の結果、ロシア国民の生活が苦しくなれば、プーチン大統領の失脚もありえた。

しかし、実際はどうだったか。米国企業の「スターバックス」がロシアから撤退したが、その店舗はほぼ同じロゴデザインで「スターズ・コーヒー」と名前を変え、普通にコーヒーを売っている。また、トヨタや日産、ルノーなど外資の自動車メーカーが相次いで工場を撤退させたが、自動車は代わりに中国が売ってくれる。

いまのロシアは、経済全体も悪くない。輸出の柱だった原油と食料は、インドを筆頭にグローバルサウスが継続して買ってくれる。また、中央銀行が優秀で、侵攻直後に暴落したルーブルはすぐに持ち直していた。GDPで見る限り、西側の経済制裁は効果がなかったという評価が妥当であり、ロシアの粘り勝ちのシナリオが見えてきた。

2024年3月、あらたに15万人をロシア軍に徴兵する大統領令にプーチン大統領が署名した。今後、ロシア軍に戦死者が増えて徴兵が常態化すると、国内の不満が溜まっていく可能性は残る。しかし、現時点では国民の生命や財産がある程度守られている。国民の支持は引き続き高く、プーチン大統領は余裕綽々で選挙結果を聞いたに違いない。

国内でも海外でも評価を下げているゼレンスキー大統領は退陣へ

国内で盤石のプーチン大統領に対して、ウクライナのゼレンスキー大統領は急速に支持を失っている。

ゼレンスキー氏が大統領選挙に初当選したのは2019年。ウクライナ大統領の任期は5年で、平時なら2024年の3月に大統領選挙が行われるはずだった。

しかし、ゼレンスキー大統領は国内での求心力が低く、今選挙をすれば再選が危うい。結局、政府は戒厳令を理由に選挙を延期した。対戦相手のロシアが大統領選挙を行えたのだから、やってやれないことはなかったはずだ。

国民からの支持を失っているのは、戦況の厳しさも影響している。「ウクライナ軍がドローン攻撃で勝利した」というニュースが盛んに流れてくるが、あれは散発的な勝利をおおげさに伝える「大本営発表」で、第二次大戦末期の日本でもよく見られた光景だ。敗色が濃いことを知ってか、徴兵逃れも横行。侵攻以降、徴兵対象の男性2万人以上が国外に脱出し、若者は徴兵免除を目的に続々と大学に入学している。

ゼレンスキー氏は海外からの支持も低下している。実は、ウクライナは汚職大国だ。第2代大統領のレオニード・クチマ氏をはじめ、ウクライナの歴代の大統領や首相は、国民のことよりも自身の保身と蓄財に執心していた。

喜劇役者出身のゼレンスキー氏が大統領になれたのは、ドラマ「国民のしもべ」と実際の選挙の両方で反汚職を掲げたからである。汚職の一掃には海外からも期待が高まった。ところが、ゼレンスキー政権が誕生しても、役人の汚職体質はまったく払拭されていない。

西側諸国はロシアの暴走を止めるため、これまで積極的にウクライナを支援してきた。しかし、お金や武器、物資をつぎ込んでも、汚職が横行していては、正しく使われているのかよくわからない。大統領になって4年も経つのに汚職体質を正せないのは指導力不足。ウクライナに支援を続けるとしても、「ゼレンスキー大統領ではダメ」というのが西側諸国の本音である。

国内でも海外でも評価を下げているゼレンスキー大統領は、もう後がない。選挙せざるをえなくなって負けるか、米大統領に返り咲く可能性があるトランプ氏に「クビだ」と通告されるのか。いずれにしても、ゼレンスキー劇場は近いうちに終わるだろう。

ゼレンスキー大統領が辞任し、今後両国の停戦が合意するとしたら、当然ロシア側に譲歩した内容になる。あるいは、混乱に乗じてロシアがウクライナの首都キーウまで侵攻するシナリオも考えられる。いずれにしても、打たれ強かったロシアの粘り勝ちである。

ロシアは領土を拡大できたとしても、総合的には大失敗

ただ、粘り勝ちといっても、短期的・局地的な勝利にすぎない。長い目で見れば、ロシアはすでに負けている。

一番の敗北は、フィンランドとスウェーデンのNATO加盟である。両国はロシアのウクライナ侵攻直後の2022年5月にNATOへ加盟を申請。フィンランドは2023年4月に加盟を承認され、スウェーデンも2024年3月に続いた。

サンクトペテルブルク出身のプーチン大統領にとって、フィンランドとスウェーデンのNATO加盟は痛恨の極みだ。

サンクトペテルブルクはバルト海にそそぐネヴァ川の河口の街だ。バルト海はロシアにとって世界につながる玄関口で、軍事的にも特別な意味を持つ。しかし、最新鋭の潜水艦を持つスウェーデン、そしてよりロシアに近いフィンランドがNATOに加わったことで、この玄関口が閉ざされた。内陸でドネツク・ルガンスク両州を獲れても、これでは割に合わない。

また、西側諸国に経済制裁されたことで、ロシア経済の中国依存が進んだ。それ自体は直接的に害があるものではないが、かつての子分に依存するのは気分がいいものではない。今回の侵攻で、西側先進国への劣等感は多少解消されたかもしれないが、代わりに中国へのコンプレックスが膨らんでいる。兵器と兵員の不足を補うために北朝鮮にまで“お世話になる”有り様だ。

ロシアはウクライナとの戦いが終わったときに、プラス5点の成果を得るかもしれないが、その他のところでマイナス100点だ。差し引きすれば、敗戦である。

戦争は例外なく悲惨なものだが、両方の当事者が敗戦国となる今回は、輪をかけて益がなかった。

領土を奪うという19世紀的発想は、崩壊後のソビエト連邦にとっては意味がない。奪った領土にくっついてくる人々の年金債務のほうが、新領主にとっては遙かに重い。領土を奪って破壊した都市を再建すると、年金・福祉などの債務が増える、というのが21世紀の現実なのだ。プーチンはそのことを自国での経験からよく知っているはずなのに、奪いたいウクライナを破壊している。正気の沙汰とは思えない。

日本は西側諸国の一員として、今後もウクライナ支援を続けるだろう。戦争の末路が見えてきた以上、物資の支援で戦火を拡大させる方向ではなく、難民の受け入れなどお金をあまり使わない方向で存在感を発揮してほしいものだ。

※この記事は、『プレジデント』誌 2024年5月3日号 を基に編集したものです。

大前研一

プロフィール マサチューセツ工科大学(MIT)大学院原子力工学科で博士号を取得。日立製作所原子力開発部技師を経て、1972年に経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク入社後、本社ディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長を歴任し、1994年に退社。スタンフォード大学院ビジネススクール客員教授(1997-98)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)公共政策大学院総長教授(1997-)。現在、ビジネス・ブレークスルー大学学長。豪州BOND大学教授。