
この論文から学ぶべき「大前研一メソッド」
<自国の正しさを主張するだけでなく、相手国の論理と地政学の変化から外交を考える>
外交では、自国の歴史認識や主張を繰り返すだけでは、交渉が前進するとは限らない。相手国が何を正当化し、何を国益と考えているのかを理解する必要がある。とりわけ周辺国との外交では、相手国の論理を理解することが重要になる。
また、米国を中心とする同盟関係や国際秩序が、将来も変わらず続くと決めつけてはならない。国際情勢の変化を踏まえ、発言や行動が交渉の余地を広げるのか、それとも狭めるのかを考える。
ロシアの対日論調が急速に悪化しています。2026年9月26日、ロシアのラブロフ外相は米ニューヨークで開かれた第81回国連総会の一般討論演説で、日本とドイツを名指しし、「軍事化と報復主義の道に踏み出した両国は、安全保障理事会の追加議席を求めることはできない」と述べました。両国の常任理事国入りに反対すること自体は新しくありません。しかし今回重要なのは、「軍事化」と「報復主義」という概念が加わったことにあります。日本の安全保障政策を、「第2次世界大戦の結果を覆す動き」としてロシアは見ています。歴史認識と新しい地政学への対応という二つの点で、世界とのズレが目立つとBBT大学院・大前研一学長は指摘します。
大前研一(BBT大学大学院 学長 / BOND大学教授 / 経営コンサルタント)
編集/構成:mbaSwitch編集部
2026年8月13日、ロシアのプーチン大統領が択捉島を視察した。高市早苗首相はこれに猛抗議したが、2つの意味で日本の国益を損なうばかりだ。
プーチン大統領が北方領土に足を踏み入れたのは今回が初めてだ。その意図は明確ではないが、日本による対ロシア制裁に対するけん制のほか、高市政権を「新型軍国主義」と批判する中国と足並みを揃えたいという思惑も見え隠れする。
この訪問に対し、高市首相は「断じて許容できない」「中長期的な関係回復を困難にした」と非難し、関係断絶を示唆するかのような強い表現だった。プーチン大統領も黙ってはいない。2026年9月2日、日ロ平和条約締結交渉について「われわれにとっては決着済みだが、何らかの形で議論する用意があった」と過去形で語ったうえで、「現在の両国関係の悪化はすべて日本の責任だ」と主張。日口関係は近年冷えていたが、氷漬けの状態が当面続く。
高市政権のどこがズレているのか。まず一つは、敗戦前後の歴史を知らずに外交していることだ。1945年2月のヤルタ会談では、ドイツを米英仏ソで分割占領することが決定。このときソ連の対日参戦の見返りに、南樺太と千島列島をソ連に引き渡すことをルーズベルト米大統領が認めた。ソ連はこの「千島列島」に南クリル(現在の北方領土)も含まれると解釈している。
ところが1945年8月に日本がポツダム宣言を受諾すると、スターリンは1945年8月16日にトルーマン宛ての書簡で北海道北部の分割占領を提案し、上陸する構えを見せる。ルーズベルトの急死で就任していたトルーマン大統領は分割案を拒否。結果、ソ軍は南樺太と千島列島を占領するにとどまった。米国が「約束通り南クリルまでやるから、北海道には手を出すな」と押し戻したわけだ。
米国がスターリンの主張を受け入れていたら、北海道はドイツのように分割占領されて戦後の発展に支障が出ていただろう。もとより日本はポツダム宣言を受諾した無条件敗戦国であり、何かを拒否する立場になかった。
日本の保守派は、「ソ連は終戦直前に日ソ中立条約を破って参戦し、終戦後に北方領土を占領したのだから無効だ」という。しかしソ連からすると、米国と約束したとおりに占拠しただけで、「文句があるなら米国に言え」というところだろう。
保守派は米国に文句を言う度胸はなく、「北方領土は日本固有の領土」と主張する。しかし、領土は歴史的な文書ではなく実効支配で決まるのが国際政治の現実である。無理を通そうとしているのは保守派だけではない。「北方領土は不法占拠されている」というのが、今も政府の公式な見解である。
実はソ連を引き継いだロシアは、北方領土を重視していない。ロシアではシベリアや極東ロシアが人口減少で寂れると中国から圧力が強まるので、政府は若い人を入植させようと手を打っているが、あまりうまくいっていない。極東ロシアの東端に位置するクリル諸島に至っては、むしろ維持することが負担になっていて頑なに領有する意義は低い。それゆえ、かつてはプーチン大統領も日本との交渉のテーブルにつく姿勢を見せていた。ところが2020年のロシア憲法改正で領土割譲を禁じ、今回の訪問で自ら島に降り立ったことで、手放さない姿勢を政治的に確定させてしまった。といっても、交渉のテーマは北方領土の「返還」ではない。
ロシアからすると北方領土は戦後処理の結果として正当に領有した島であり、返還するいわれはない。ただ、平和条約を締結し、経済協力などのお土産をたくさんつけてくれれば自分のものを「譲渡」してもいいという立場だった。
日口の立場の違いを理解しつつ交渉に臨んでいたのが森喜朗元首相だ。森元首相の父・茂喜氏は日ソの民間交流を進めた人物。森元首相は日本会議に近い保守派政治家だが、父の薫陶を受けて育ったおかげか、ロシア側からの見え方を理解していた。
森政権で距離が縮まって以降、安倍政権の初期までは、まだ交渉が動く気配があった。風向きが変わったのは2016年11月に行われた谷内正太郎国家安全保障局長とパトルシェフ安全保障会議書記との会談だ。このとき「島を譲ると日米安保に基づいて米軍が島で活動する可能性はあるか」と問われた谷内局長は「ある」と答えたと報じられている。これでロシア側が硬化した。
たしかに日米安保条約に則れば、返還後に米軍が活動する可能性がゼロとはいえない。しかし、中国を刺激した高市首相の台湾有事答弁と同じで、正直に答える必要はまったくない。「それは将来の課題です」と、建設的棚上げしておけば良かったのである。それ以降、安倍首相がプーチン大統領と会えば会うほど隙間風が吹くようになった。トップ同士が2回会っても進展が一切なかったのは、谷内氏の失言が決定的だった。
高市首相は森元首相のように敗戦前後の経緯やロシアの本音を理解せず、安倍後継を自認し日本会議的な歴史認識から少しも動こうとしない。国内では強硬な態度が支持率を支えているが、国際政治の舞台では通用しない。
ズレていることがもう一つある。現在の地政学の変化を理解しておらず、米ソ冷戦時代の構図のままなのだ。米ソ冷戦時代は、米国をリーダーとする西側とソ連をリーダーとする東側が激しく対立した。日本は米国の傘の下で親分に近いポジションを取ることでソ連に対応できたし、ほかのアジア諸国に対しても大きな顔をすることができた。
しかし、米国は変質してしまった。世界の警察官をやめようという動きは以前からあったが、トランプ大統領になり、自国さえ良ければいいという一国主義がより鮮明になってきた。
わかりやすいのは欧州でのふるまいだ。ロシアがウクライナに侵攻したとき、欧州諸国はNATOの一員である米国がウクライナを強力に支援し、ロシアに睨みを利かせるものと期待していた。実際、米国はウクライナを支援しているがロシアともどういうわけか制裁よりも対話を続けている。トランプ大統領には自由主義陣営を守るという意識はない。ロシアの主張に近いところで仲裁を狙ってプーチン大統領に恩を売り、ウクライナ側からは鉱物の権益を得ようとしている。また、仲裁に成功すれば、渴望するノーベル平和賞が近づく。
同じことは極東でも起こりうる。もっとも、ロシアには極東で軍事行動を取るつもりはない。そもそも極東に執着していないし、イランとウクライナに手を焼いていて極東どころではない。ただ、極東には問題児の北朝鮮がいる。北朝鮮はロシアに派兵して、両国は近年急接近している。
米国は北朝鮮を核保有国として認めていないが、2026年8月1日、トランプ大統領は北朝鮮が「非常に強力な核兵器」を57発保有していると発言した。さらに2026年8月19日付の談話で、金正恩総書記の妹、金与正党総務部長が日本を名指しし、「日本が間違った選択を企図すれば、即座に生存不可能なせん滅的猛攻撃を受けるだろう」と威嚇した。
関係が混沌としているが、何かの拍子で暴走した北朝鮮が日本を攻撃し、それに乗じてロシアが軍事的圧力をかけてくる可能性も否定できない。このとき「米国が助けてくれる」と考えるのはおめでたすぎる。トランプ大統領は、米国にとっての取引上の利益を重視し、従来の同盟関係よりも個別のディールを優先する可能性がある。中国・ロシア・北朝鮮と手を握り日本をあっさり捨てることもあり得る。欧州の首脳は地政学のこうした変化を感じ取っていて、メローニ伊首相のようにトランプ大統領に苦言を呈する場面が増えてきた。
それに対して、日本政府は今もトランプ大統領にべったりだ。2026年8月18日、米国は国際刑事裁判所(ICC)の赤根智所長への制裁を発表した。国際秩序、そして日本人の生命と財産を守るために猛抗議すべき場面だが、高市首相は翌日、「大変残念に思っている」と述べるにとどまった。制裁撤回の要求に踏み込んだのは、超党派の議員連盟のほうが早かった。
残念ながら、もはや米国は「尽くせば応えてくる国」ではない。にもかかわらず、高市首相は米ソ冷戦時代の延長で国際政治をとらえている。新しい地政学に従えば米国に依存しなくても済むよう周辺国と関係を強化すべきだ。
高市首相は歴史認識と新しい地政学への対応という二つの点で、世界とのズレが目立つ。それが如実に表れたのが、2026年8月15日の全国戦没者追悼式での高市首相の式辞だった。石破前首相が13年ぶりに復活させた「反省」「不戦の誓い」には触れず、安倍元首相以降の歴代首相が用いてきた「戦争の惨禍を二度と繰り返さない」を「繰り返させない」と述語を言い換えて、責任の主体を他人事のように表現した。誤った歴史認識と、中国のプレゼンスへの軽視。その両方が凝縮された表現だった。
A級戦犯を祀った靖国神社の方向に向かって拝礼したことに対しても中国は猛反発している。高市首相は対ロシアで犯した間違いを、対中国でも繰り返している。日中関係は重要なテーマである。この問題は、また稿を改めて取り上げたい。
※この記事は、『プレジデント』誌 2026年10月16日号を基に編集したものです。
大前研一
プロフィール マサチューセツ工科大学(MIT)大学院原子力工学科で博士号を取得。日立製作所原子力開発部技師を経て、1972年に経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク入社後、本社ディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長を歴任し、1994年に退社。スタンフォード大学院ビジネススクール客員教授(1997-98)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)公共政策大学院総長教授(1997-)。現在、ビジネス・ブレークスルー大学学長。豪州BOND大学教授。