MBAダイジェスト 2019年4月2日

日本の国家戦略と税制(2)「失われた10年」の”本当の意味”を知る

『MBAダイジェス』シリーズでは、国内初・最大級のオンラインMBAである「BBT大学院」、ならびに2つの国際認証を持つ「BOND-BBT MBAプログラム」の修了生が、両校で学ぶMBA科目のエッセンスをまとめ、わかりやすく紹介していきます。将来的にMBAの取得を検討している方や、MBAの基礎知識をインプットしたい方はご活用ください。



執筆:植田秀史(BBT大学院MBA本科修了、植田ひでちか税理士事務所 所長)
対象科目:日本の国家戦略と税制(大武健一郎 教授)

失われた10年の意味

皆さんは「失われた10年」という言葉を聞いたことがあるでしょう。高度経済成長を成し遂げた日本経済が、バブル景気の崩壊後、長期に渡って停滞したことをいいます。これは1990年代の10年間を意味するので、現在までの期間を指して「失われた20年」という人もいます。

では、なぜ「失われた10年」は起きたのでしょう。多くの方は、「失われた10年」をバブル崩壊の影響を受けた結果だと考えているようです。しかし、実はバブル崩壊は現象のひとつであって、原因ではないのです。

東西冷戦と『壁』としての日本

終戦後、世界はアメリカを中心とした自由主義圏と、ソ連を中心とした共産圏に分かれて争いました。東西冷戦の時代です。この間、幸いにして世界的な戦争にはならずに済みましたが、世界は明確に二つに分かれ、小競り合いを繰り返しました。

アメリカの占領下にあって自由主義国家の一員となった日本には、冷戦下で一つの役割を与えられました。ソ連を封じ込めるための『壁』の役割です。日本はユーラシア大陸に対して縦に細長い島国です。もしソ連が太平洋に出てこようとすると、必ず日本の近海を通らなければなりません。

『壁』としての日本を強化するため、アメリカは1ドル360円という、輸出に極めて有利な為替レートを設定しました。これにより日本の輸出産業は大きな利益を上げ、目を見張る経済成長を遂げました。

つまり、東西冷戦を背景とした思惑のなかで、自由主義圏を守る壁としての役割を与えられ、「高下駄を履かされて」日本は復興し、成長してきたといえます。

冷戦の終わり

しかし1970年代、東西の緊張緩和が進み、1980年代にはソ連が経済的に疲弊したこともあって、冷戦の意味合いは後退しました。そして同時に、日本の『壁』としての役割も後退し、むしろ強力になり過ぎた日本の経済力がやり玉に挙げられる時代になりました。そして1985年、プラザ合意を迎えます。

プラザ合意では世界的な為替レート安定化の協議が行われ、この日を境に1ドル240円だった為替レートが1年後には1ドル150円に高騰。日本の輸出産業は大きな打撃を受けることになりました。政府は急激な円高に対応するため、円売り・ドル買い介入を繰り返し行い、その結果、不動産や株式への投機が加熱してバブル景気をもたらしたと言われています。

「普通の国」、そして新しい日本

東西冷戦という世界的な動きのなかで高下駄を履かされ、急激な成長を遂げた日本は、冷戦の終わりと共に「普通の国」になりました。高度経済成長時代に有効だった成長モデルが通用しなくなり、新しい方向性も見つからず苦しんだ時代、それが「失われた10年」だといえます。

では、この状況はこれからも続くのでしょうか。冷戦後の世界は大きく変わりました。世界を分けていた境界線は消滅し、経済のグローバル化が進みました。東南アジアを中心とした多くの国々は目覚ましい成長を遂げ、今や先進国に肩を並べつつあります。その世界の変化に、日本はやや取り残されてしまったといえるかもしれません。

しかし、我が国も世界の変化と成長を取り込み、繁栄する道があるはずです。歴史を学び今を学ぶことで、新しい日本を考え、それを実行する。それが日本の国家戦略となるのです。

次の記事へ >>

植田秀史

BBT大学院MBA本科 修了生
植田ひでちか税理士事務所 所長
国税局を経て、独立。BBT大学院大学院修了後、本科目のTA(Teaching Assistant)を務める。


※BBT大学院MBAプログラムの受講体験談はこちら

大武 健一郎(BBT大学大学院 教授、元国税庁官)

1946年生まれ、東京都出身。東京大学卒。70年旧大蔵省入省。大阪国税局長や財務省主税局長を歴任、2005年国税庁長官で退官。商工中金副理事長を経て、 2008年4月より「ベトナム簿記普及推進協議会」を立ち上げ、理事長としてベトナムで日本語と複式簿記の普及に努める。2008年7月より2012年7月まで大塚ホールディングス株式会社代表取締役副会長も務めた。
35年間勤務のうち20年間を税に携わる。税制の企画立案と税務行政の両方を担当したという点で、他には例をみない税の専門家。
日米租税条約を32年ぶりに全面改正したアメリカとのタフなネゴはあまりにも有名。これにより配当や利子、特許の使用料が原則として相互に免税となり、知的財産の開発に拍車がかかるだけでなく、研究開発に対して恒久減税を実施したこととあわせ、欧米の対日投資がふえる効果があった 。また、この条約が、その後の先進国との租税条約のモデル条約となった。なお、税理士法についても21年ぶりの改正を担当した。


※科目「日本の国家戦略と税制」はこちら