MBAダイジェスト 2019年4月3日

日本の国家戦略と税制(3)戦後の「3つのボーナス」と「逆ボーナス」の21世紀の日本

『MBAダイジェス』シリーズでは、国内初・最大級のオンラインMBAである「BBT大学院」、ならびに2つの国際認証を持つ「BOND-BBT MBAプログラム」の修了生が、両校で学ぶMBA科目のエッセンスをまとめ、わかりやすく紹介していきます。将来的にMBAの取得を検討している方や、MBAの基礎知識をインプットしたい方はご活用ください。



執筆:植田秀史(BBT大学院MBA本科修了、税理士)
対象科目:日本の国家戦略と税制(大武健一郎 教授)

我が国は、焼け野原となった終戦から、わずか40年弱で西ドイツ(当時)を抜いてGNP世界第二位まで急成長しました。このような経済成長は世界でも例がなく、「東洋の奇跡」と言われました。

そのような経済成長の背景には、大きな3つのボーナスがありました。その3つとは、「人口ボーナス」「人口移動ボーナス」「有利な為替レート」です。

人口ボーナス

終戦後、日本の人口は急激に増加しました。1945年には7000万人ほどだった人口は、2005年には1億2500万人に増えたのです。この理由は、幼児死亡の減少と長寿化にあります。

戦争が終わった1945年まで、我が国の幼児死亡は大変高いものでした。この頃、乳児の6人に1人が何らかの理由で死亡しています。私の母親(67歳)には叔父叔母が32人、従兄弟が50人おりますが、このように戦前世代の方は多産でした。これは、幼児死亡の多さと無関係ではなく、子どもを残すために、多く産むのが普通だったのです。

しかし、戦後、医療の発達と公衆衛生の改善で幼児死亡が減少し、終戦直後の第一次ベビーブームの子供たち、いわゆる団塊世代の方々はほとんどが生き延びて、現在大きな人口構成を占めています。

この方々は、同時に高度経済を支えた生産人口(18歳から60歳までの働き盛りの方々)でもあります。人口の増加率を生産人口の増加が上回る状態を人口ボーナスといいます。日本の高度経済成長時期は、まさにこの人口ボーナスの恩恵をフルに受けた時期でもあるのです。

人口移動ボーナス

また、戦後の日本は、人口の増加に加え、人口の移動ボーナスがありました。戦後、地方の人たちは集団就職などで大都市圏に移住しました。例えば、1950年から1970年にかけて毎年数十万人の人が、東京など3大都市圏に流入しています。

そして、この人たちは都市で住宅や家電などを多く購入しました。つまり、人口の移動が巨大な需要を喚起し、これが経済成長をけん引しました。この効果は大変大きく、経済成長の理由の3割程度が人口移動で説明できるといわれています。

有利な為替レート

もうひとつは為替レートです。前回にお話ししたとおり、太平洋戦争の終焉は、東西冷戦の始まりでもありました。世界はアメリカを中心とする自由主義国家と、ソビエト連邦を中心とする共産主義国家の2つに分かれ、世界中で紛争を起こしました。

このような状況で、日本はソ連が太平洋に進出してこないように「壁」となる役割を与えられ、その役割を十分に果たせるように、経済復興が急がれました。それが1ドル360円という為替レートです。この極めて輸出に有利な為替レートで、日本の産業は輸出を中心に大きく成長しました。

現在は逆ボーナスの時代に

このように、我が国は3つの大きなボーナスを得て急激に経済成長しました。しかし、現在はこの3つがすべて逆回りしています。

人口は、2005年をピークに減少に転じました。また、団塊世代の高齢化とともに、人口の減少以上に生産人口が減少する「人口オーナス(onus=重荷)」に突入しています。

人口移動は1970年以降減速し、それに伴って人口移動ボーナスも無くなりました。むしろ需要が一巡二巡して「総てのものがすべてある」ため、現在は欲しいものがない「低欲望の時代」です。

さらに、為替レートは一時70円台になるなど、円は高騰しました。現在は1ドル120円前後まで下落していますが、安い労働力を求めて生産拠点の多くが海外に移転した現在、経済的な恩恵よりも物価高が懸念されています。つまり、我が国は過去の経済成長期とは全く違う時代に入っており、過去の成功体験はすでに通用しなくなっているということを理解する必要があります。

では、新しい時代をどのように生き抜いていくのか。国家の戦略に加えて、一人ひとりが考え、行動していく必要があるのです。

次の記事へ >>

植田秀史

BBT大学院MBA本科 修了生
植田ひでちか税理士事務所 所長
国税局を経て、独立。BBT大学院大学院修了後、本科目のTA(Teaching Assistant)を務める。


※BBT大学院MBAプログラムの受講体験談はこちら

大武 健一郎(BBT大学大学院 教授、元国税庁官)

1946年生まれ、東京都出身。東京大学卒。70年旧大蔵省入省。大阪国税局長や財務省主税局長を歴任、2005年国税庁長官で退官。商工中金副理事長を経て、 2008年4月より「ベトナム簿記普及推進協議会」を立ち上げ、理事長としてベトナムで日本語と複式簿記の普及に努める。2008年7月より2012年7月まで大塚ホールディングス株式会社代表取締役副会長も務めた。
35年間勤務のうち20年間を税に携わる。税制の企画立案と税務行政の両方を担当したという点で、他には例をみない税の専門家。
日米租税条約を32年ぶりに全面改正したアメリカとのタフなネゴはあまりにも有名。これにより配当や利子、特許の使用料が原則として相互に免税となり、知的財産の開発に拍車がかかるだけでなく、研究開発に対して恒久減税を実施したこととあわせ、欧米の対日投資がふえる効果があった 。また、この条約が、その後の先進国との租税条約のモデル条約となった。なお、税理士法についても21年ぶりの改正を担当した。


※科目「日本の国家戦略と税制」はこちら