大前研一メソッド 2021年1月25日

NTT法の改正や撤廃に向けてドコモが動き出した?(後編)

大前研一(BBT大学大学院 学長 / BOND大学教授 / 経営コンサルタント)
編集/構成:mbaSwitch編集部

NTTドコモの動きについて2回シリーズでお伝えしています。前編では、NTTドコモの「値下げしすぎ」の料金について解説しました。

NTT法の改正や撤廃に向けた政府への働きかけが始まっていて、アハモの発表が菅政権への貢ぎ物であるという推理を説明しました。後編ではなぜ今、NTT法の改正や撤廃が必要かという理由について、また、三菱UFJ銀行との金融事業での包括提携にもつながっていくという推理の続きを紹介します。

NTTドコモと三菱UFJ銀行は、金融事業で包括提携する方針を固めた。2021年3月末までの合意を目指している。NTTドコモの契約数は約8100万である。

三菱UFJ銀行の口座数は約4000万である。三菱UFJ銀行の普通預金口座や当座預金口座には、クレジットカードやローン、公共料金の何十年にも渡る引き落とし履歴、証券会社や保険会社等との入出金履歴などの情報が蓄積されている。

NTTドコモと三菱UFJ銀行の顧客情報を名寄せする。アントグループの芝麻(ゴマ)信用のようなフィンテック事業を手がけるもよし、eコマースをやるもよし。稼げるネタが無限に広がっている。

ただし、新しい事業を展開していくうえで問題になるのが、NTT法である。法律によってNTT(東日本と西日本、持ち株会社)の事業内容は厳しく規定されていて、新規事業には総務省の認可が必要になる。

通信会社を地域分割した米国では再統合し、AT&Tとベライゾンが寡占

「増税なき財政再建」をスローガンに掲げる第二次臨時行政調査会(土光敏夫会長)で政府公社の民営化が議論され、その答申を受けて1984年に電気通信事業法と日本電信電話会社法(NTT法)が成立して日本電信電話公社の民営化が決定、1985年4月にNTTは誕生した。

さらに民営化してもNTTは巨大すぎて民業を圧迫するということで、手足を縛るために分割されることになった。当時、独占禁止法違反でAT&Tを地域分割した米国にならって、NTTもNTT東日本とNTT西日本、NTTコミュニケーションズ、NTTドコモ、NTTデータに分割されたのだ。

もともとNTT民営化は米国のAT&Tの分割にならったものだ。

AT&Tはあまりに独占体として強くなりすぎたために、反トラスト法に則って7つの地域電話会社(ベビーベル)と1つの長距離電話会社(AT&T)に分割された。しかし時を経て、ベライゾン・コミュニケーションズとAT&Tの2つに再統合された。

この2社は携帯電話分野でも非常に強く、ドイツテレコムやソフトバンクなどの外国勢が米国市場へ参入してもビクともしていない。


【図】世界の通信会社の売上高

一方で、同じように分割した日本のNTTはいまだに分割したままで、再統合の道はかなり厳しい。

現在の通信実態を鑑みれば、NTTもバラバラに事業を行うよりもストレートに再統合したほうが、スケールメリットが生きる時代なのだ。ところが恐竜が暴れ回るといけないということで中生代につくったNTT法があるために、再統合ができない。

再統合してグループのリソースを生かせば、リスクの高い海外に打って出る以前に国内でできることがまだたくさんある。たとえば電話料金を何十年も支払ってきた顧客の個人情報は、極めて貴重な信用情報だ。これを活用してNTTが金融関連事業を始めるなら、あっという間にサービス展開が可能である。

通信事業は頭打ち。NTTが将来的に目指すべきは銀行

「NTTを再統合せよ」というと、ソフトバンクの孫正義会長兼社長やKDDIの守護神である稲盛和夫氏などは大反対するだろう。

しかし、ソフトバンクが世界最大規模のサウジアラビアのファンドなどを味方に付けて世界中で大活躍している世の中なのだから、「日本で強者だから」という理由で、NTTがいつまでも重荷を背負わされて自由に戦えないのは理不尽、という世論も当時よりは強くなってきている。

通信事業の頭打ち感が否めない中、NTTが将来的に目指すべきは銀行だと私は思っている。NTTが統合、そして三菱UFJ銀行と金融事業で包括提携すれば、固定電話と携帯電話、三菱UFJ銀行の顧客の名寄せができる。その顧客データこそが最強の資産であって、それを活用して銀行業に取り組めばアリババ傘下のアント・フィナンシャルのようになれる可能性がある。

※この記事は、『プレジデント』誌 2021年1月29日、『大前ライブ』2021年1月10日放送 を基に編集したものです。

大前研一

プロフィール マサチューセツ工科大学(MIT)大学院原子力工学科で博士号を取得。日立製作所原子力開発部技師を経て、1972年に経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク入社後、本社ディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長を歴任し、1994年に退社。スタンフォード大学院ビジネススクール客員教授(1997-98)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)公共政策大学院総長教授(1997-)。現在、株式会社ビジネス・ブレークスルー代表取締役会長。ビジネス・ブレークスルー大学学長。豪州BOND大学教授。