大前研一メソッド 2019年2月8日

第2回米朝首脳会談~過去に何度も北朝鮮に反故にされてきた“非核化合意”の二の舞か?



大前研一(BBT大学大学院 学長 / 経営コンサルタント)
編集/構成:mbaSwitch編集部

ドナルド・トランプ米大統領は2月5日、上下両院合同会議で行った一般教書演説で、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長と2月27日と28日の両日にベトナムで再会談することを明らかにしました。

どのような交渉になるのかを大前研一学長に予測してもらいます。

北朝鮮の“非核化合意”は1991年以降、何度も反故にされ続けてきた

トランプ米大統領は2019年初の閣議の冒頭、「金委員長から素晴らしい書簡を受領した。そう遠くない将来に金氏との会談を設定する」と語った。第1回のシンガポールのときのように北朝鮮が非核化に向けて何ら具体的な行動を取らない会談を再び行ったら、「また、だまされたのか」とトランプ大統領は批判されるだろう。

今回は目の前で、「『完全かつ検証可能で不可逆的な核廃棄をやらなかったら、鼻血作戦だぞ』と追い込まなくてはいけない。鼻血作戦というのは、トランプ大統領の就任1か月後に、米軍制服組トップのダンフォード統合参謀本部議長に指示した北朝鮮への先制攻撃計画のこと。米紙ワシントン・ポストのボブ・ウッドワード氏による内幕本『FEAR』(邦題も『FEAR』)で暴露されていた。

北朝鮮は1991年以降、5回ほど、韓国や米国との協議、6か国協議の中で北朝鮮の非核化に合意してきたが、いずれの合意も反故にしてきたという“前科”がある。「第1回米朝首脳会談の非核化合意も、過去に反故にされた二の舞になるのではないか」との懸念に対し、トランプ米大統領は反論している。

トランプ米大統領は一般教書演説の中で、北朝鮮との和平推進に向けてまだやるべきことは多くあるが、北朝鮮が核実験を停止し、過去15か月間ミサイル発射を行っていないことは進展の兆しだと強調した。

その上で「私が米国の大統領に選ばれていなかったら、現在北朝鮮と大きな戦争をしていただろう」と述べた。また、金委員長との関係は「良好だ」と語った。

第1回の首脳会談で発表された北朝鮮の朝鮮半島非核化へのコミットメントはあいまいだが、第2回米朝首脳会談では、上記の演説の内容を証明するためにも、北朝鮮の非核化に向けた具体的な措置で合意に持ち込まなければならない。

第1回首脳会談で北朝鮮の後ろ盾となった中国は、今回は距離を置く?

第2回米朝首脳会談で、中国が北朝鮮の後ろ盾として役割を果たそうという兆候は見られない。

中国の習近平国家主席は1月8日、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長と北京で会談した。「習・金会談」は4回目だが、特別専用列車を仕立て、やたら警備を大げさにして行ったわりに、まったく意味不明で成果のない会談だった。

金委員長が言いたかったのは、「トランプ米大統領と2回目の会談をするときは、ぜひバックアップをお願いします」ということだろう。2018年6月の初の米朝首脳会談の前後も頻繁に訪中していたが、今回も中国との密接な関係を誇示し、米朝会談での非核化協議を有利に進める狙いがある。

しかし今回、習主席は表立ってバックアップはできない。前回の会談では「バックアップする」と言って、事実上、経済制裁を解き、石油を大量に供給したが、米国から「余計なことをするな」と反発を食らった。

習主席としては「自分が金正恩と対峙(たいじ)して彼をコーナーに追いつめ、非核化の立場を堅持させた」ということを国際社会に見せつけたかったのだが、自分たちが仕切っているような動きに出れば、ますます米国は硬化するだろう。

今回の会談で習主席は注意深く、「米朝会談の開催を支持する。国際社会が歓迎する成果を得られるよう努力をしなさい」と表明し、金委員長もオウム返しに「歓迎される成果が得られるよう、努力します」と応じただけ。何の成果もなかった。

1月8日はたまたま金委員長の誕生日だった。金夫妻は習夫妻のもてなしを受け、「誕生パーティーをやりました」だけで終わったといえる。

米国はこれまで、「北朝鮮が非核化する前に北朝鮮に対する経済制裁を緩和することは一切ない」としてきた。しかしながら、北朝鮮が寧辺(ニョンビョン)の核施設を廃棄する見返りにトランプ政権が「相応の措置」を講じる“条件交渉”が実務協議担当者レベルでは始まっていることが報道されている。

第2回米朝首脳会談で「米側の成果ゼロ」という恥をトランプ米大統領にかかせないためだが、「北朝鮮が非核化する前に北朝鮮に対する経済制裁を緩和することは一切ない」という大前提はなし崩しになり、北朝鮮のペースにはまるかもしれない。

大前研一

プロフィール マサチューセツ工科大学(MIT)大学院原子力工学科で博士号を取得。日立製作所原子力開発部技師を経て、1972年に経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク入社後、本社ディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長を歴任し、1994年に退社。スタンフォード大学院ビジネススクール客員教授(1997-98)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)公共政策大学院総長教授(1997-)。現在、株式会社ビジネス・ブレークスルー代表取締役会長。ビジネス・ブレークスルー大学学長。豪州BOND大学名誉教授。