大前研一メソッド 2020年8月24日

コロナ不景気の最悪シナリオに備えたプランBを策定せよ



大前研一(BBT大学大学院 学長 / BOND大学教授 / 経営コンサルタント)
編集/構成:mbaSwitch編集部

新型コロナウイルスによって企業が未曽有の収入減に見舞われています。日本経済新聞が世界1万社を対象に調べたところ、2020年4~6月期に3割以上の減収になった企業は24%と、リーマン・ショック時(2009年4~6月期、同21%)を上回りました。

「需要回復に早くても数年単位の時間がかかる」と、通期の業績予想を示せない企業が相次いでいます。「最悪のケースを想定した対応策を策定しておかなければならない」とBBT大学院・大前研一学長は警鐘を鳴らします。

最悪のケースを想定した綿密・周到な対応策が準備できているか

私は、「アフター・コロナ(コロナ後)」について、日本企業がいわゆる「プランB」(「プランA=当初の計画」がうまくいかなった場合の次善策)をいかに綿密・周到に用意できるかが重要だと考えている。プランAやプランB、その中間に位置づけられるプランA’(Aダッシュ)とは具体的にはそれぞれ以下のようなものである。

(1)プランA

プランAは、緊急事態宣言解除後に徐々に世界経済が「回復する」というシナリオに基づいた計画である。プランAにおいては、事業規模・生産体制・雇用などを「ビフォー・コロナ(コロナ前)」に戻す準備を進めておけばよい。

(2)プランA’(Aダッシュ)

プランA’は、さらに1年程度、海外での感染者増加がずるずると続き、世界経済が「長期停滞する」というシナリオに基づいた計画である。日本においては、東京五輪・パラリンピックも中止せざるを得ないし、2025年の大阪・関西万博も影響は免れない。だが、これはまだしも“幸せ”な予想と言える。

(3)プランB

最悪のケースを想定した対応策が「プランB」である。参考になるのは、100年前のパンデミック「スペイン風邪」である。スペイン風邪は1918年から1921年まで3年間にわたり猛威を振るい、世界全体での感染者数は約5億人、死者数は数千万人とされる。日本国内でも流行の波が3回あり、約2380万人が感染して約39万人が死亡した。

今回の新型コロナウイルスがそこまで感染爆発することはなさそうだが、3年くらい完全には終息しない事態もあり得ると思う。このスペイン風邪の教訓の一つは、感染がピークアウトした後も引き続き経済は大変動に見舞われる、ということである。

コロナ禍で激変する産業構造。日本企業の多くは変化についていけていない

いま日本企業の経営者の多くはコロナ・ショックで自信を喪失している。21世紀はサイバー経済でAI(人工知能)やIoT(モノのインターネット)やサブスクリプション(定額制)を採用したビジネスモデルなどを活用しなければならないと頭では理解していても、腰から下がついていっていなかった。そこへ、コロナ禍が重なったからである。

今回のパンデミックは産業構造を激変させる契機にもなり得る。歴史を振り返ると、18世紀後半に始まった産業革命で産業構造は抜本的に変化し、それに対応できる企業と対応できない企業に峻別された。その時と同様に、いま企業はアフター・コロナを見据えた「21世紀型」にトランスフォームできるか、あるいは「19世紀型」に戻ってしまうか、という岐路に立たされているのである。

日本企業と比べて、中国企業の「21世紀型」への変貌ぶりは凄まじい。たとえば、eコマースや顔認証の技術が日進月歩で、広州はスマホの動画で商品を宣伝販売するeコマースの「“首都”になる」と宣言している。顔認証の技術で言えば、パンダの顔も画像や動画から個体識別できるまでに進化している。

それに対して日本企業はどうだろうか。いまだに昔ながらのテレビショッピングや静止画像のeコマースが大半で、顔認証もサイバー決済も全く普及していない。新型コロナウイルスの対応でも、日本を代表する大企業の多くは、危機を目の前に右往左往している。

ここでアフター・コロナに対応できる「21世紀型」にトランスフォームできなければ、その企業は衰退・消滅するだけである。いま、すべての日本企業は、英語で言うところの「ブルータル・フィルター(brutal filter)」と言われる情け容赦のない残忍な選別・淘汰が始まっている、と肝に銘じるべきなのである。

※この記事は、『大前アワー#445』2020年8月15日放送、を基に編集したものです。

大前研一

プロフィール マサチューセツ工科大学(MIT)大学院原子力工学科で博士号を取得。日立製作所原子力開発部技師を経て、1972年に経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク入社後、本社ディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長を歴任し、1994年に退社。スタンフォード大学院ビジネススクール客員教授(1997-98)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)公共政策大学院総長教授(1997-)。現在、株式会社ビジネス・ブレークスルー代表取締役会長。ビジネス・ブレークスルー大学学長。豪州BOND大学教授。