大前研一メソッド 2020年7月6日

「9月入学」に変えても大学の国際化は進まない



大前研一(BBT大学大学院 学長 / BOND大学教授 / 経営コンサルタント)
編集/構成:mbaSwitch編集部

2020年春、にわかに浮上したものの導入が見送られた「9月入学」を巡る議論――。「9月入学」推す意見の中で「9月入学はグローバルスタンダード」という理由がありました。確かにG7(先進7か国)で4月入学は日本だけです。G20に広げても4月入学は日本とインドだけです。

「9月入学」を巡る議論では「入学時期のズレが日本の大学の国際化を遅らせる一因になっている」「グローバルスタンダードの9月入学に移行すれば国際交流は促進されるし、留学もしやすくなる」という議論もよく聞かれました。

しかし、9月入学のメリットに留学生の送り出しと受け入れを容易にするという意見は、留学の実態を知らない人の意見だとBBT大学院・大前研一学長は異議を唱えます。留学生の送り出しも受け入れも「9月入学」によって促進されることはないと大前学長が言う理由はそれぞれ以下の通りです。

日本人の留学生の学力レベルが低すぎてそもそも講義についていけない

現状、世界の一流大学に留学する日本人学生の数は劇的に減少している。理由は明白で、日本人の学力が非常に落ちているからである。

「日本人の留学生は入学して2年くらい経過して、ようやく今日スタートしたら何とかなるレベルに到達する」と米国の大学で教えている日本人の大学教員はよく指摘する。つまり、他国の学生に比べてクラスでの発言も成績も、2年分遅れているのである。留学先で厳しい目に遭って2年ぐらいもがけばようやく初年度の学生程度のレベルに到達する、ということである。そもそも英語に難があるから、留学先で語学学校に1年~1年半通わなければ、大学の授業にとてもついていけない日本人留学生も多い。

1990年代に米国のスタンフォード大学とUCLAで教鞭を執った私が一番心配しているのは、世界各国から集まる学生の中で、日本人は全く目立たないし、発言しないことである。1960年代にMITに私が留学した頃は、日本人はそれなりに頑張っていたし、特徴ある学生も散見された。そういう情勢を踏まえれば、入学時期がずれているのは学力の劣る日本人留学生にとって決して悪いことではない。3月に卒業して4~8月の期間余裕があるというのは貴重な留学準備期間であり、身辺整理や語学の勉強に充てることができるのだから。

海外の優秀な学生からすれば、日本に留学するメリットは皆無

また、逆に9月入学になれば海外から優秀な人材が日本にやってくる、という意見もあるが、これまた完全な幻想である。海外の優秀な学生からすれば、日本に留学するメリットは何もない。

アジアからの留学生と言えば、かつては韓国や台湾から日本にやってくる留学生は多かった。経営者は日本の企業とのつながりが重要視され、子弟を日本流に教育したかったからである。しかし、韓国では金大中政権以降、欧米、英語圏に完全にシフトして、日本に留学する学生はほとんどいなくなった。台湾人は義理堅いから「親子三代慶應義塾大学」みたいな家柄が今でも存在するが、MBAを取るための大学院は例えばペンシルベニア大学のウォートンスクールだったりする。

今どき、日本に来るとすれば中国の学生ぐらいで、欧米の一流大学に合格できず、なおかつ日本への留学で奨学金を獲得できた場合だけだろう。競争が激しい中国では、優秀な人材は日本など見向きもしない。眼中にあるのは、欧米の一流大学であり、次が中国の国内のトップ大学。その次がオーストラリアやカナダという英語圏だ。格落ちの日本の大学の卒業証書は出世の妨げにしかならないのが実態である。

さらに、日本に留学するためには日本語を習得する必要がある。英語圏のインドやシンガポール、香港の学生にしてみれば、英語だけで欧米の一流大学に留学できるのに、面倒な日本語を学ぼうと思う人は稀少である。

台湾と韓国でも日本語を学ぶ人はめっきり減っている。インド人のエリートは一流大学でICTと英語を究めれば、GAFAをはじめとするグローバル企業から高給オファーが殺到する。将来の出世の役に立たず、日本語教育という面倒がもれなくついてくる日本への留学など頭の片隅にもないのである。

9月入学に変更すれば大学の国際化が進み、留学が活発化する、などという意見は実態を知らない人の言うことで、議論すること自体がナンセンスである。

※この記事は、『プレジデント』誌 2020年7月17日pp.90-91を基に編集したものです。

大前研一

プロフィール マサチューセッツ工科大学(MIT)大学院原子力工学科で博士号を取得。日立製作所原子力開発部技師を経て、1972年に経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク入社後、本社ディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長を歴任し、1994年に退社。スタンフォード大学院ビジネススクール客員教授(1997-98)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)公共政策大学院総長教授(1997-)。現在、株式会社ビジネス・ブレークスルー代表取締役会長。ビジネス・ブレークスルー大学学長。豪州BOND大学教授。