大前研一メソッド 2019年11月25日

「TPPに入り直せ」と米国に言えなかった弱腰日本




大前研一(BBT大学大学院 学長 / BOND大学名誉教授 / 経営コンサルタント)
編集/構成:mbaSwitch編集部

日米双方の関税を削減・撤廃する貿易協定の承認案が2019年11月19日に衆院本会議で可決され、衆院を通過しました。同20日に参院本会議で審議が始まりました。同貿易協定は、日本だけがTPP並みに市場を開放することを強いられる日本にとって不利な協定であると BBT大学院・大前研一学長は指摘します。

「TPP並みの市場開放を求めるなら、TPPに入り直せ」と日本は米国を説得すべきだった

2019年9月に行われた安倍晋三首相とトランプ大統領の首脳会談で発表された最終合意の共同声明を経て、同年10月7日、日米両政府は新たな貿易協定に署名した。早速、日本政府は日米貿易協定の承認案を臨時国会に提出、今の国会の会期内に承認が得られれば2020年1月1日に発効する見通しだ。

日米貿易協定は日米間の農産品や工業品の自由貿易に関する取り決めで、関税の撤廃や削減について話し合いを行ってきた。今回の協定で決まった関税の最終的な撤廃率は貿易額ベースで日本側は約84%、米国側は約92%。日本から米国への輸出に関しては、楽器、自転車、エアコン部品、燃料電池など幅広い工業品の関税が撤廃・削減されるほか、日本産牛肉の輸入枠が拡大する。一方、米国から日本へ輸出される農産品の関税については、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の水準まで段階的に引き下げられる。

トランプ大統領との首脳会談で日米貿易協定の最終合意確認書にサインした安倍首相は「日米双方にとってWIN WINとなる結論を得ることができた」と胸を張った。しかし、言うほど日本にとって「WIN」と評価できる内容とは思えない。

そもそも今回の貿易協定は米国がTPPに加盟していれば必要なかった。トランプ大統領が就任直後にTPPから離脱して多国間の貿易協定から二国間協定に舵を切ったために、日米間でも貿易交渉の必要が生じたわけだ。

米中貿易戦争で中国に売り損ねたトウモロコシ数百億円を、米国が日本に押し付け

トランプ大統領は日本向けの農産品の関税をTPP加盟国並みに引き下げられたことで、「(協定は)米国の農家にとって偉大な勝利」といつものように自画自賛している。勝手にTPPを抜けておきながら、日米貿易協定を自分の功績としてアピールする図々しさはさすが。この枠組みの外側で米中貿易戦争により中国に売り損ねた(数百億円といわれる)大量の余剰トウモロコシまで安倍首相に押しつけようとする始末。「再選」に向けた選挙対策のディールとしては間違いなく「大勝利」である。

トランプ大統領に引っ掻き回されたうえに苦労して合意にこぎ着けたTPP加盟各国の目に、この二国間協定はどう映るのだろうか。米国がTPPに踏み止まっていた段階では、自動車にかける関税(2.5%)を25年目に撤廃することで合意していた。しかし、今回の協定では日本の対米輸出の要、約35%を占める自動車や自動車部品の関税撤廃は見送られて継続協議になった。つまり、日本だけが一方的にTPP並みの市場開放をする形になったのだ。

「妥協するとしても上限はTPPの水準まで」と交渉の頭から財布の底を見せてしまったのもまずかった。「TPP並みの市場開放を求めるなら、TPPに入り直せ」と言うべきだったと思うが、トランプ大統領が突然ぶち上げた「輸入車に対する最大25%の追加関税」にビクついた日本にそんな度胸はなかったのだろう。

おかげでというべきか、自動車の追加関税については当面回避された。2019年9月に署名した日米共同声明には「協定が誠実に履行されている間、協定及び共同声明の精神に反する行動は取らない」と明記されているし、追加関税をかけないことを安倍首相は直接トランプ大統領に「明確に確認した」という。

無論、記憶力が乏しいトランプ大統領の確約など、まともに信じていたらバカを見るだけである。今回の日米貿易協定にしても、日米間の自由貿易という観点で言えば、何も決着していないに等しい。協定に記したトランプ大統領のサインなど、「これから中国との貿易戦争、貿易交渉に集中しなければならないから日本の優先順位は落として、とりあえず休戦協定にしておこう」程度の意味合いしかない。

先が見えない中国との貿易交渉の前に対日交渉でポイントを稼いで、重要な支持基盤の1つである農家に「成果」をアピールできればよかったのだ。

トランプ大統領は「制裁関税」や「追加関税」をちらつかせながら、貿易問題で世界中を引っ掻き回してきた。なぜそんなことをするのかといえば、「アメリカファースト」という理念の問題よりも、トランプ大統領自身が貿易や経済の構造というものを根本から理解していないことに起因していると思う。

※この記事は、『プレジデント』誌2019年11月29日号を基に編集したものです。

大前研一

プロフィール マサチューセツ工科大学(MIT)大学院原子力工学科で博士号を取得。日立製作所原子力開発部技師を経て、1972年に経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク入社後、本社ディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長を歴任し、1994年に退社。スタンフォード大学院ビジネススクール客員教授(1997-98)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)公共政策大学院総長教授(1997-)。現在、株式会社ビジネス・ブレークスルー代表取締役会長。ビジネス・ブレークスルー大学学長。豪州BOND大学名誉教授。