大前研一メソッド 2022年7月5日

オーストラリアとフィリピンの新首相、新大統領の中国接近に警戒せよ

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大前研一(BBT大学大学院 学長 / BOND大学教授 / 経営コンサルタント)
編集/構成:mbaSwitch編集部

2022年5月にオーストラリアとフィリピンで新首相、新大統領が誕生しました。オーストラリアとフィリピンは、日米と共に対中包囲網の一翼を担うことが既定路線であるかのような報道が日本では一般的です。しかしながら、オーストラリアとフィリピンは経済的には中国一辺倒です。対中国で日米との足並みは揃うのでしょうか? BBT大学院・大前研一学長に聞きました。

オーストラリア新首相の国際観、外交のビジョンは未知数

オーストラリアでは2022年5月21日の連邦議会総選挙で9年ぶりに労働党政権となり、党首のアンソニー・アルバニージ氏が新首相となった。

アルバニージ新首相が自国の利益を考えれば、最大のお客さんは中国だ。2000年代半ばから貿易が急増し、輸出・輸入ともに第1位は中国だ。

経済的に中国一辺倒だから、「日米豪印戦略対話(Quad=クアッド)」にしても、2021年10月からいきなりバイデン米大統領が言い始めた「IPEF(インド太平洋経済枠組み)」にしても、ほとんど意味不明だ。現在の世界では、オーストラリアだけでなく、どの国も中国抜きにサプライチェーンは考えられない。本音では、「害がない限りは日米に言われたとおりに付き合っておけばいい」といったところだろう。

日本がオーストラリアにとって貿易上は最も重要な国だった時代がある。1970年代-1980年代以来日本と非常に親密だった。1980年代には日本企業がゴールドコースト、ケアンズなどの土地を買い占め、ゴルフ場やリゾートマンションなどの開発を進めた。

だが、白人移民を重視する「白豪主義」の人たちからの反発もあった。日本企業のせいで地価が高騰し、オーストラリア人が家を買えないと言われ、FIRB(外国投資審査委員会)という外国からの投資を監視・規制していく組織ができたくらいだ。

1996年から2007年まで11年も首相を務めた自由党のジョン・ハワード氏は“のんきな父さん”みたいな人で、悪事を働かない代わりに首相として大した成果は出せなかった。日本の影は薄くなり、日本から進出したリゾート開発企業は次々に潰れ、ゴールドコーストには日本企業の“倒産銀座”ができたほどだ。

そんな中、ガラッと変わったのは、2007年に労働党のケビン・ラッド氏が首相になってからだ。彼は、「彼から中国を取ったら何も残らない」というほどの中国好きだ。中国語で演説するのを何度か聞いたけれど、中国語が非常に上手かった。その頃から中国との貿易が急増した。北部のダーウィン港は、中国企業に99年間貸与された。

人の移動も盛んになった。私は毎年ボンド大学の卒業式に参列しているが、中国人の学生が増えていることを実感している。また、オーストラリアには250万豪ドル(約2億4000万円)以上の移転可能な資産があれば、永住権の申請ができる投資家ビザもできたが、主に中国の富裕層向けだ。

ところが、自由党のスコット・モリソン前首相は、ケビン・ラッド氏とは正反対に中国にかなりきつく当たった。労働党のアルバニージ新首相の国際観、外交のビジョンは未知数であるが、対欧米、対日、対中国などのバランスをどう取るのか、今後に注目する必要がある。

親中国のフィリピン新大統領には要注意

一方、フィリピンでは、2022年5月9日の大統領選で勝利したフェルディナンド・マルコス氏が、6月30日に新大統領に就任した。通称ボンボン・マルコス氏だ。

父親のフェルディナンド・マルコス氏は、2021年も大統領を続け「独裁者」と呼ばれた。1986年のエドゥサ革命で打倒されハワイへ逃げた。同じ名前の長男が大統領に選ばれるのは、私から見ると常軌を逸しているとしか思えない。

フィリピンは、情で投票する人が多いのだろう。エドゥサ革命で大統領になったコラソン・アキノ氏は、マルコス氏と対立して暗殺されたベニグノ・アキノ氏の奥さんだった。夫の恨みを晴らすのだからと、政治能力は考えずに大統領に選ばれたわけだ。

2016年から大統領を務めるロドリゴ・ドゥテルテ氏も、なぜ選ばれたのかわからない。彼はダバオ市で計22年にわたって市長を務め、麻薬犯罪者などを問答無用で射殺した話はよく知られている。大統領選で「凶悪犯や麻薬密売人は殺す」と公言して当選した。実際、強権的な麻薬取締を進めて人権を無視した“麻薬戦争”を展開したが、任期中の支持率はそれなりに維持された。

彼が大統領の任期を終えたあとは、長女のサラ・ドゥテルテ氏を大統領にして、自分は副大統領になると話したこともあった。だが、そのうちにボンボン・マルコス氏が大統領候補として有力視されだした。ドゥテルテ氏とボンボン・マルコス氏は家族ぐるみの付き合いだから、それなら娘は副大統領でいいと考えたのだろう。フィリピンでは大統領と副大統領はそれぞれ投票で選ばれる。今回の選挙ではボンボン・マルコス氏とサラ氏が手を組み、2人とも当選した。

私が知る限り、再独立後のフィリピンの大統領で最もまともだったのは、フィデル・ラモス氏だ(任期は1992-1998年)。国軍出身で、コラソン・アキノ大統領の時代に軍参謀総長、国防大臣を務め、彼女を腹心の部下のように支えて後継指名を受けた。

私はラモス政権時に、大統領官邸のマラカニアン宮殿に招かれたことがある。私がマレーシアのマハティール首相のアドバイザーだと知って、フィリピンでも21世紀を見据えたIT戦略などをアドバイスしてほしいと頼まれた。

私はフィリピンにもアドバイスをしようと思ったが、国家戦略の実現には最低でも10年はかかる。ところが、フィリピンは独裁者マルコス時代への反省から、大統領は1期6年という任期制限が設けられている。

私はラモス氏に法改正を提案した。ラモス氏は私の案を気に入って動き出したが、カトリック教会に反対されてしまった。フィリピンはカトリック教会の影響が大きいから聞かざるをえず、実現に至らなかった。

今回のボンボン・マルコス氏は、選挙活動で「おやじの政治は前半と後半に分けて考えてくれ」と訴えていた。父は、後半は汚職まみれの独裁者になったが、前半はインフラ整備に力を尽くすなど国のために働いたというのだ。フィリピンが最も栄えた時代であり、「自分は前半の父親を踏襲するから、あの時代を取り戻そう」と訴えていた。後半の腐敗については「女帝」と呼ばれた母親のイメルダ夫人になすりつけたところがある。

父親の前半を踏襲するといっても、ボンボン・マルコス氏にまともな政治ができるようには見えない。彼は州知事、下院議員、上院議員を務めてきたから、政治経験がゼロではない。だが、彼には危険な点がいくつかある。たとえば中国との親密関係だ。

北イロコス州知事の時代は、地元で収穫したマンゴーを中国向けに輸出して恩恵を受けた。同州に中国領事館も誘致しているほど、親中国だ。

今回も立候補後に在フィリピン中国大使館を訪れ、大使と親しく懇談したと報じられた。当選後すぐに、習近平国家主席と両国の関係について電話で話し合ったという報道もある。

一方で、日本の話を出しても「日本ってどこにあったっけ?」という具合だろう。かつて日本とフィリピンは結びつきが強かった。丸紅などの総合商社がインフラ整備などでフィリピンに進出していた。日本はフィリピンとの関係を深めたいところだが、外交では中国のほうを向いているマルコス家とドゥテルテ家が相手では、取り付く島はなさそうだ。

オーストラリアやフィリピンを含め、日本の周辺国の情勢変化に対しては、過去数十年のいろいろな出来事を総合的に勘案し、主要人材との親交を通じて人的側面から政策立案できるように持っていかなければならない。本来この仕事は外務省が担うのだろうが、対米国と対中国を除いては、専門家が育つ仕掛けにはなっていない。アジア太平洋諸国に関しては一刻も早く、民間のボランティアグループを立ち上げ、国別の対話能力を拡充していく方策を検討すべきだと思う。

※この記事は、『プレジデント』誌 2022年7月15日号 を基に編集したものです。

大前研一

プロフィール マサチューセツ工科大学(MIT)大学院原子力工学科で博士号を取得。日立製作所原子力開発部技師を経て、1972年に経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク入社後、本社ディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長を歴任し、1994年に退社。スタンフォード大学院ビジネススクール客員教授(1997-98)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)公共政策大学院総長教授(1997-)。現在、株式会社ビジネス・ブレークスルー代表取締役会長。ビジネス・ブレークスルー大学学長。豪州BOND大学教授。