大前研一メソッド 2022年4月19日

ロシアがウクライナに侵攻した理由

Ukraine Russia Reason

大前研一(BBT大学大学院 学長 / BOND大学教授 / 経営コンサルタント)
編集/構成:mbaSwitch編集部

2022年3月23日、ウクライナのゼレンスキー大統領が日本の国会で演説しました。戦争中の国の大統領がオンラインで他国の国民や政治家に語りかけるのは、いかにも21世紀のテレビ俳優らしい振る舞いです。演説の内容は地味でしたが、彼のシンパは日本国内にも増えたのではないでしょうか。

ゼレンスキー(=正義) 対 プーチン(=悪)の戦い というような表面的ではない、ロシアがウクライナに侵攻した根本原因について、BBT大学院・大前研一学長に解説してもらいます。日本にとっても、ウクライナのように侵攻を受けることは決して他人事ではなく、研究材料にすべきだと大前学長は指摘します。

EU加盟、NATO加盟、核再武装の3点セットが、ゼレンスキーの人気回復政策

目の前で起きていることだけで、世界情勢は理解できない。日本人は「米国脳」の見方になりやすいから、「ロシア脳」あるいは「プーチン脳」に頭を切り替えて情勢を判断することが重要だ。

プーチンとロシア軍は、ウクライナの街を攻撃し、非戦闘員の命を奪い、シリア型のひどい破壊行為を続けた。これは許されることではないが、プーチンがなぜキレているのかを理解するには「プーチン脳」で考えてみるしかない。

時間軸の問題もある。この1カ月余りで世界の見方は急変した。最も大きく変わったのは、ゼレンスキー大統領に対する見方だろう。「彼は大統領になる器ではない」と考えていたウクライナ人もいるはずだ。ゼレンスキーは政治風刺ドラマ『国民の僕』でウクライナ大統領役を演じて人気を高め、2019年の大統領選に出馬して当選した。

ゼレンスキーの支持率は、就任時には約8割と高かった。過去の大統領や首相は私腹を肥やす悪い連中がほとんどだったから、過度な期待があったのだ。しかし、実際に就任すると「やはり政治の素人じゃダメだ」と、支持率は約3割まで落ちた。

人気を失ったゼレンスキーは、EU加盟、NATO加盟を掲げた。EU加盟を望む国民は多いから支持率は上がる。

ウクライナ人の多くがEU加盟を望むのは、EU内を自由に往来し就業もできる「EUのパスポート」が欲しいからだ。現在のロシア軍と戦うウクライナ人は愛国心の塊に見えるけれど、彼らはもともと自分の国があまり好きではない。私は何回もウクライナを訪問しているが、若い人は特に、ウクライナを離れてEUや米国などで働きたいと話していた。

プーチンも「ウクライナ人の愛国心は薄い」と判断したから、戦争に2日間でケリがつくと踏んで侵攻したのだろう。

ゼレンスキーが掲げたEU加盟は容易ではない。彼自身も初めから空手形で、「在任中には無理」だと思っていただろう。EU加盟を望む国はほかにもあり、トルコなど5カ国がすでに待っている。トルコなどは、もう17年も加盟交渉がまとまっていない。

一方、NATOのほうは、EUよりは加盟しやすい。最近でも、2020年に北マケドニアが、2017年にはモンテネグロが加盟している。しかし、NATOは軍事同盟だから、隣国であるウクライナが加盟することをプーチンが許せるわけはない。

さらに、ウクライナは、ソ連時代はICBM(大陸間弾道ミサイル)、航空母艦など兵器も開発していた。核兵器も開発していて、1991年に独立した時点で、ウクライナには約1900発の核弾頭があり、米ロに次ぐ世界第3位の核保有国だった。米ロ英は3カ国による安全保障を条件として、ウクライナに核兵器を放棄させた。これが1994年の「ブダペスト覚書」だ。

フランスと中国も、別々の書面でウクライナに核兵器の撤去を条件に安全保障を約束している。

ところが、ゼレンスキーは2022年2月に「ブダペスト覚書は再検討できるはずだ」と発言した。「ロシアに小突きまわされるのは核兵器を手放したせいで、核を保有すればロシアと対等に交渉できる」という意味である。

EU加盟、NATO加盟、核再武装は、ゼレンスキーが支持率を回復するための3点セットだった。しかし、「こいつは思った以上にワルだ」とプーチンのイライラは頂点に達したのだ。

ゼレンスキーがミンスク合意を反故にしたことが発端

そもそもプーチンのイライラは、ゼレンスキーが大統領に就任した頃から始まっていた。ゼレンスキーが「ミンスク合意なんて知らないよ」という態度を見せていたからだ。

ミンスク合意は、ウクライナ東部で起きたドンバス戦争を停戦させるため、2014年にベラルーシの首都ミンスクで調印されたものだ。

ドンバス地方は、親ロ派のドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国が実効支配し、ウクライナ政府と対立している。2014年の合意ではウクライナ、ロシア、ドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国、OSCE(欧州安全保障協力機構)の代表が調印し、翌2015年にはドイツ、フランスが仲介して「ミンスク2(第2次ミンスク合意)」が調印されている。

合意内容には、「停戦とともにウクライナの憲法を改正し、ドンバス地方に“特別な地位”を与える」と規定している。

ウクライナの東側、ドネツク州とルガンスク州はおよそ3割がロシア系だが、「人民共和国」とした地域に限ればクリミアと同じく7割を占める。彼らはドンバス地方の東側50kmほどをぶん取ってロシアとの間に緩衝地帯をつくっていた。この地域に自治権を認めるというのがミンスク合意だった。

ところが、2019年に大統領に就任したゼレンスキーは「あの合意はウクライナが不利な条件を押しつけられたもの」と公然と言い出した。苦労して調印した合意を反故にするのだから、プーチンから見れば、大馬鹿野郎だろう。

ロシアの議会は「ウクライナ政府が彼らの自立を認めないなら独立宣言させる」と決め、プーチンは侵攻の1週間ほど前にこれにサインした。ゼレンスキーがすぐに自治権を与えていれば、あるいは当事者であったメルケル独前首相がすぐに仲介に動いていれば、プーチンも侵攻するほどイライラを募らせることはなかっただろう。

日本がウクライナのように侵攻を受けないための格好の研究材料

日本のメディアは「プーチンは理解不能」「ウクライナのNATO加盟申請が最大の問題」などと報じているが、ゼレンスキーによる一連の人気回復政策が問題なのだ。彼が大統領になってからの流れを追えば、プーチンが憤激した背景が理解できるだろう。

一方、ロシアのウクライナ侵攻からのゼレンスキーの役者振りは素晴らしい。インターネットで神出鬼没し、世界中に救助を訴えている。シナリオもわかりやすいし、好感が持たれる。いつの間にか支持率は90%を超え、「今世紀まれに見る指導者だ」という見方が定着しつつある。

半面、プーチンに対しては「正常な判断ができなくなったのではないか」「孤立しているのではないか」「ロシア国内で反プーチンのクーデターが起こるのではないか」と、評価が完全に逆転してしまった。ウクライナ人の「祖国を守る」勇気が想像以上であったし、米軍もNATO軍こそ派遣しないが、ウクライナが使える近代兵器など一式を大量に送り込んでいる。

その結果、ロシアが泥沼に入り、2022年3月末現在は「南部の一部だけでももぎ取れればいい」という線まで後退している。

これはとりもなおさずミンスク合意が実施されていれば達成できていたことで、ウクライナ国土にあれだけの破壊を被ることは避けられていたはずだ。

ここまで来たらウクライナだけでなくロシアでも「プーチンをどうやって止めるのか」という一点に絞られてきている。2023年にわたり独裁者として君臨してきた指導者が、結局のところ相談相手も、正直なアドバイスをしてくれる人もいなくなる悲哀、と言ってもいい。

これは日本にとって他人事ではない。中国の同じく独裁者・習近平が陥る可能性のある土壺でもある。その場合には日本もウクライナのような悲劇に巻き込まれるおそれがある。

今回のロシアによるウクライナ侵攻は、

(1)いかに指導者の頭に潜り込んで考えることが重要か
(2)どの段階でどうすれば最悪の悲劇は防げたか

ーーを考えるための格好の材料であると思う。

※この記事は、『プレジデント』誌 2022年4月29日号 を基に編集したものです。

大前研一

プロフィール マサチューセツ工科大学(MIT)大学院原子力工学科で博士号を取得。日立製作所原子力開発部技師を経て、1972年に経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク入社後、本社ディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長を歴任し、1994年に退社。スタンフォード大学院ビジネススクール客員教授(1997-98)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)公共政策大学院総長教授(1997-)。現在、株式会社ビジネス・ブレークスルー代表取締役会長。ビジネス・ブレークスルー大学学長。豪州BOND大学教授。