大前研一メソッド 2023年3月7日

「生産性の向上」なき賃上げラッシュで、国力はさらに低下する

salary raises vs inefficiency

大前研一(BBT大学大学院 学長 / BOND大学教授 / 経営コンサルタント)
編集/構成:mbaSwitch編集部

岸田文雄首相は3月1日の参院予算委員会で、2023年春闘に関し「賃上げこそが日本経済の成長に不可欠だとの思いで取り組む」と述べました。かつて北欧では人件費高騰を税金で補おうとして、国も企業も競争力を失いました。岸田首相の掲げる「新しい資本主義」のもとで、日本は経済成長どころか確実に貧しくなっていくとBBT大学院・大前研一学長は警鐘を鳴らします。

賃上げは、日本経済に好循環を生み出してはくれないのでしょうか。大前学長に聞きました。

管理職が電話番をする国は日本だけ

日本の賃金の安さは、データに表れている。OECD(経済協力開発機構)の平均賃金調査(2021年)によると、日本の平均賃金は3万9711ドル(1ドル=130円換算で約516万円)で、OECD加盟国38カ国中24位。OECD平均の5万1607ドル(約670万円)を大きく下回っている。1位米国7万4738ドル(約971万円)と比べると、ほぼ半分だ。

【資料】OECD Data Average wages

賃上げの原資を確保するために欠かせないのが「生産性の向上」である。単純な話である。今まで10人でやっていた仕事を半分の5人で処理できれば、人件費の総額を増やすことなく1人当たりの給料を倍にできる。

特に生産性向上の余地が大きいのは間接業務だ。日本企業はこれまで製造現場の効率化を得意としてきた。おかげで20世紀の工業化社会ではチャンピオンになれたが、ホワイトカラーの仕事に関しては依然としてムダが多い。

さまざまな入力を手作業で行い、結論の出ない会議のためにぞろぞろと集まり、果ては課長が外回りの社員の代わりに社内で電話を受けて「誰々さん、お客様から電話があったよ」と伝言をする。給与の高いマネジャーが誰でもできる電話番をしている国は、世界広しといえども日本だけ。この問題を解決しないかぎり、賃上げは困難だ。

では、どうすれば間接業務を省人化できるのか。DX(デジタルトランスフォーメーション)とBPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)である。一つずつ解説しよう。

間接業務を省人化する方法その1:DX

答えの1つはDXだ。間接業務のうち頭を使わないものはRPAで自動化できるし、頭が多少必要なものも、今はAIにやらせたほうが正確で速い。ところが、日本企業の多くはこうしたツールを使いこなせていない。生産現場では積極的にロボットを導入するのに、デスクワークになると途端に及び腰になってしまうのだ。

その根本原因は、多くの企業において、直接工ではうまくいった作業標準化(SOP〔作業標準書〕の整備)が間接業務ではできていないからだ。さらに掘り下げて考えてみると、業務が属人的で、もっといえば英語圏では20年ほど前から進んでいたIT化に日本語がなじまなかったことがある。

さらに社内にDX要員が足りないということで外部の助けを求める。そうすると、システムをつくるベンダーにいいように牛耳られてしまう、という問題がある。

ベンダーは、エンジニアに発想力がないことが問題だ。外国ではエンジニアは高給取りの職業だが、それはシステム全体を構想する力を持っている人材がいるからである。一方、日本の大学の工学部やプログラミングの専門学校はそこまで教えない。就職してOJTで学ぼうにも上司は古い知識しか持たず、まともに教えることができない。その結果、多くが単なる“プログラミング・コード屋さん”になってしまう。つまり、ChatGPTを使えば簡単に処理する程度のプログラムを人海戦術で処理しているのだ。

しかし、それだけではない。指示されたプログラムを書くだけのエンジニアを多く抱えたベンダーは何をするか。顧客の生産性向上は二の次で、他のベンダーに仕事を奪われないように汎用性のないシステムにつくりこむ。発注側が「他のシステムに替えたい」と気づいても後の祭りだ。汎用性がないので全面刷新は難しく、一部改修でお茶を濁しているうちにますます泥沼にハマりこみ、効率の悪いシステムがゾンビのように生き続けるのだ。

発想力がないのは、発注側も同じである。そもそも情報システム部門に配属される社員の多くは、プログラムすら書けない文系出身者だ。発注の仕方もわかっておらず、「大手で実績があるから」とベンダーに丸投げする。これではDXが進まず、賃上げの原資をねん出できないのも当然だ。

間接業務を省人化する方法その2:BPO

間接業務を省人化する方法は、もう1つある。BPOの活用だ。

米国企業の賃金が高いのは、間接業務のみならず、さまざまな業務を海外にアウトソーシングして省人化しているからである。たとえばGAFAMのような巨大IT企業は、ソフトウエア開発まで外に出している。高度な業務は、東欧を含めて旧ロシア地域へアウトソーシングしている。定型的な業務のBPO先はインドだ。

米国のある通信会社のコールセンターもインドにある。米国の消費者が「通信障害が起きた」と電話をすると、インドにつながってインド人オペレーターが対応する。受電した内容の9割はシステム上で遠隔対処が可能。1割は現場で修理が必要で、巡回中のトラックに衛星回線で連絡して直行・対処してもらう。

このように海外にアウトソーシングすれば、人件費は米国本国よりずっと安い。給料が10分の1の人に業務をやってもらえば、残りの9割が賃上げの原資になる。米国人の高給は、海をまたいだBPOによって支えられているのである。

日本企業も同じことをやればいいのだが、英語の壁が立ちはだかる。日本人消費者と直接会話するコールセンター業務はもちろんだが、そもそも発注者の日本人社員が英語を話せないので他の業務も海外に出しづらい。企業は業務と同時に人を中に抱えざるをえず、省人化を進めることができない。

省人化の前に立ちはだかる最大の壁は解雇規制

日本の場合、企業努力でDXの壁と英語の壁を乗り越えることができても、省人化は容易ではない。企業努力だけでは限界があるという事情がある。解雇規制という最大の壁が企業の前に立ちはだかっているのである。

社内で仕事がなくなった人は労働市場に出てもらうことが資本主義のルールである。しかし、日本は業務で省人化しても簡単に社外に出せない。要らない人にも給料を払い続けなければならないので、賃上げの原資もできないし、そもそも企業に省人化を図るインセンティブが働かない。

解雇規制が企業の競争力を削ぐことをよく理解していたのが、1998年から2005年までドイツの首相を務めたゲアハルト・シュレーダー氏だった。シュレーダー氏は「アジェンダ2010」を掲げて、「要らない人は外に出していい。国が責任を持ってリスキリング(再教育)して労働市場に戻す」と人材の流動化を進めたのだ。

政府自身がその非効率な仕事ぶりを理解していない

シュレーダー改革で企業の生産性は高まり、浮いた人件費をデジタルに投資した。いったん外に出た労働者は再教育機関でITなどのスキルを身につけ、デジタル産業に再就職。それが「インダストリー4.0」(第4次産業革命)につながり、収益性を高めた企業が賃上げするという流れができた。

岸田首相は、経団連など経済3団体の新年祝賀会で、企業にインフレ率を超える賃上げを要請した。企業に不要な人を抱えさせたまま賃上げ要請するのは、企業に「潰れろ」と言っているのに等しい。しかも呼びかけている政府自身の仕事ぶりは、人海戦術そのものだ。

実際、かつて北欧では人件費高騰を税金で補おうとして、国も企業も競争力を失った。無い袖は振れないのだから、岸田首相の掲げる「新しい資本主義」のもとで、日本人は確実に貧しくなっていく。

企業が賃上げできない根本原因が政府自身にある。そのことを理解しようともせず、企業に一方的に結論だけを求めるのは、一国の首相として怠慢である。岸田首相は戦後長年にわたって日本と経済成長では併走してきたドイツの成功例から学ぶべきなのだ。

※この記事は、『プレジデント』誌 2023年3月17日号を基に編集したものです。

大前研一

プロフィール マサチューセツ工科大学(MIT)大学院原子力工学科で博士号を取得。日立製作所原子力開発部技師を経て、1972年に経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク入社後、本社ディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長を歴任し、1994年に退社。スタンフォード大学院ビジネススクール客員教授(1997-98)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)公共政策大学院総長教授(1997-)。現在、株式会社ビジネス・ブレークスルー代表取締役会長。ビジネス・ブレークスルー大学学長。豪州BOND大学教授。