大前研一メソッド 2026年9月8日

30年間の低金利政策、円は日本ではなく海外を潤した

low interest policiesこの論文から学ぶべき「大前研一メソッド」
<一国の金融政策だけを見るのではなく、国境を越えて資金が動く“ボーダーレス経済”まで視野を広げる>

グリーンスパン氏は、大前研一学長が1988年に提示した「ボーダーレス経済」を直接意識していたかどうかは不明である。しかし、結果としてグリーンスパン氏は、国境を越えて資金が移動するボーダーレス経済の力学を巧みに利用した。「規制緩和によって資金の受け皿をつくる」という政策と、ボーダーレスに動く世界のマネーを組み合わせる金融政策が、米国の繁栄につながった。

FRB(連邦準備制度理事会)議長を務めたアラン・グリーンスパン氏が2026年6月22日、100歳で亡くなりました。5期18年半の間に米国は景気を拡大し、その手腕は「マエストロ」と称されました。その功績を分析し、現在の日本の金融財政政策をBBT大学院・大前研一学長に考察してもらいました。

大前研一(BBT大学大学院 学長 / BOND大学教授 / 経営コンサルタント)
編集/構成:mbaSwitch編集部

日銀の刷った円がアイスランドを狂わせた

グリーンスパン元FRB議長を評価するなら、「ケインズ経済の顔をしながら、ボーダーレス経済を実践した初めての中央銀行トップ」だろう。

ケインズ経済は20世紀に世界を席巻した、「政府の財政支出と中央銀行の金利操作で経済はコントロールできる」とする経済理論。景気が過熱気味なら金利を上げて冷やし、悪ければ国債を発行して財政支出で有効需要をつくる。

ただ、ケインズ経済には大きな欠陥がある。ケインズ経済に基づいた政策は閉ざされた環境の中でのみ効果的であり、国境の壁が限りなく低くなってモノやカネ、ヒト、情報などあらゆるものが交差するボーダーレス経済のもとでは逆回転していくのだ。

日本はバブル経済崩壊で1990年代に金融緩和政策に舵を切り、日銀は1999年にはゼロ金利、2001年には量的緩和を始めた。まさにケインズ経済に基づいた景気刺激策だ。

しかし、たくさん刷った円は国内で使われなかった。低金利ゆえに海外の金融機関が日本で円を借り、外貨に換えて金利の高い国に投資する円キャリー取引が発生。たとえばアイスランドでは2000年代半ばに住宅バブルが起きた。直接の原因は銀行が海外からの借金を膨らませたことで、3大銀行の総資産はGDPの100倍近くに達した。だが、その原資は日銀の量的緩和に行きつく。政策金利が10%を超えたクローナは、円キャリー取引の標的になり、欧州で発行されたクローナ建て債券は日本の投資家にも売られた。日銀の政策は日本ではなくアイスランドの景気を刺激した。ボーダーレス経済では国境を超えマネーが動くため、ケインズ経済の理論どおりに事が運ばないのだ。

話を戻す。グリーンスパン元FRB議長が秀逸だったのは、景気後退期には大胆に利下げする一方、金利を長くゼロ近辺に張りつかせることはなかった点である。ゼロ金利に向かっていた当時の日本と比べれば、明らかに高い水準だった。その結果、世界中、とくに欧州や中南米、日本からマネーが殺到した。まさにボーダーレス経済だ。大量のマネーが流入したことで景気が刺激され、1990年代のクリントン政権時代には株価は約3倍まで上昇。立役者の一人は間違いなく、グリーンスパン元FRB議長だった。

本人がボーダーレス経済を意識していたかどうかは不明だ。私が「ハーバード・ビジネス・レビュー」で『The Borderless World』を発表したのは1988年。それからボーダーレス経済の概念が世界的に注目を集めるようになったが、グリーンスパン元FRB議長がそれについて直接言及したことはない。

レーガンが泥をかぶりクリントンが実を得た

高金利で経済を伸ばすのに欠かせない条件がある。大胆な規制緩和だ。国境を超えてマネーが流れ込んできても、使いみちがなければ貯蓄に回ってしまう。投資そして消費により多くのマネーを回すには、規制緩和して新たな市場をつくり出さねばならない。

グリーンスパン元FRB議長の金融政策がうまくいったのも、背景に1970年代末から続く規制緩和がある。カーター政権が航空や陸運、金融で自由化に着手し、レーガン政権がそれを一気に押し広げた。「運輸」「通信」「金融」の3分野で、緩和というより規制そのものを撤廃するレベルの激しさだった。

実際、航空業界を統制してきた民間航空委員会(CAB)は1985年に廃止され、100を超える新規エアラインが誕生した。通信では1984年に巨大企業AT&Tが分割されている。

ただし、規制緩和には副作用がある。規制緩和が大胆なほど、従来守られていた企業が倒産し、失業者が増えていく。規制緩和の効果で経済が活性化するには10年ほどかかる。それまで国民は痛みに耐えなければいけない。

レーガン政権は失業率が一時、10%台まで上昇した。同じく規制緩和と高金利政策を実施した英国のサッチャー政権もそうだ。サッチャー元首相は国営企業の民営化や金融ビッグバンを推進したが、失業率が一時12%前後に達した。両者とも「石もて追われるがごとく」に政権を去っている。

規制緩和の果実を得たのはその後の政権ーー米国ならクリントン政権、英国ならプレア政権だった。それはレーガン元大統領やサッチャー元首相が泥をかぶって土台を整えてくれたおかげといっていい。

グリーンスパン元FRB議長はクリントン政権時代もずっと最前線にいた。自身で果実を収穫できたからこそ、高い評価を得られたわけだ。

高市政権が日本経済にトドメを刺すのか

ひるがえって日本はどうか。日本だけではないが、経済政策の発想は今でもケインズ流だ。マルクス経済学を教える学者もいるが、実際の経済は国境をまたいで動いているのに、ボーダーレス経済は蚊帳の外だ。

ケインズ経済で育った経済学者やエコノミスト、日銀プロパーたちが金融政策を決めるため、日本は金融政策も「景気が悪ければ利下げする」という伝統的な手法から抜け出せていない。

規制緩和については中曽根康弘元首相が国鉄・電電・専売3公社を民営化した。ただ、日本ではそれが限界で、今もあらゆる産業で強い規制が残る。

規制緩和が進まないのは、政治家が倒産や失業を引き受ける覚悟ができないからだ。象徴は民主党政権時代の「亀井モラトリアム」だ。リーマンショックで企業の資金繰りが悪化。中小企業を救うため、金融機関に借入金の返済猶予や条件変更を押しつけた。その結果、倒産すべき非効率な企業30万社近くが生きながらえてしまった。

低金利で円キャリー取引が活発になり、規制が強い統制経済のもとでは、経済が復活するはずがない。失われた30年は、起こるべくして起きていると言わざるをえない。史上最長の政権となった安倍政権も「アベクロ・バズーカ」と勇ましいスローガンのもとゼロ金利を続けて資金を海外に流し続け、国内経済の回復は全く見られなかった。

日本経済にトドメを刺そうとしているのが高市政権である。高市首相は「和製サッチャー」を自任しているが、経済理論の理解度がまったく違う。サッチャー元首相は党首になる前に保守系シンクタンク「CPS(政策研究センター)」を立ち上げて副会長を務め、自由主義経済の専門家になった。

一方、高市首相が経済を専門的に学んだ形跡はない。理解している人をブレーンにするならまだいい。

サッチャー元首相は独自のインナーキャビネット(ブレーン集団)を持っていた。民間や中央銀行から集め若手7人で、マッキンゼーの私のチームにいた人物も招集されたのでよく覚えているが、毎週火曜日午後に官邸で、政策の立案や検証をしていた。事業を知る若手の声にも耳を傾けたのだ。

それに対して、高市首相が頼るのは金融緩和と積極財政をセットで唱える「財政リフレ派」の学者、エコノミストたちだ。彼らはボーダーレス経済の実態を知らないので、積極財政で円安が進んだこの期に及んでも、日銀の利上げをけん制しようとする。冷静に判断すれば「おかしい」と分かるはず。高市首相は自分の頭で考えず、ブレーンの言いなりに見える。

このままだと円の価値はますます落ちて、輸入品を中心に物価が上がって悪性のインフレが加速する。その後しぶしぶ利上げするだろうが、それも「遅すぎ、小さすぎ」というパターンだろう。国民生活は崩壊の一途である。

今、日本が取るべき金融財政政策は利上げの継続である。さらに金利を上げて2400兆円に達する個人金融資産が利益を生むようにすること。さらに海外からマネーを呼び込み、円安を食い止めるとともに、財政支出より規制緩和・撤廃重視で投資の機会を増やす。これしかない。もちろん利上げには副作用がある。まず企業の倒産が増えるが、これは低金利でしか生きながらえない生産性の低い企業に退場してもらういい機会だととらえるべきだ。

もう一つ、国債の利払いが増えて財政が悪化することも避けられない。その危機を回避するのにもっとも手っ取り早いのは財産税だ。ただ、財産税はさすがに国民が許さず、断行すれば国が乱れるだろう。私が財政担当者なら、新たな寄付制度をつくる。日本にはお金がたまるばかりで、使いみちがなくて困っている高齢の富裕層がいる。お金を使わないくせに、相続税は嫌で海外に逃げていく人もいる。その層を対象に、国債償還のために多額の寄付を呼びかけるのだ。

見返りは、相続税の優遇と名誉国民の称号だ。富士の裾野に記念プレートを設置し、「救国の士」として末代までその栄誉にあずかれるようにする。これで個人金融資産の一部でも動けば、利払いの危機を乗り越えられる。

痛みを先送りしてきたことで、日本はもう土俵際まで追い込まれてしまった。副作用のない薬はない。今こそツケを払って出直すべきだ。

※この記事は、『プレジデント』誌 2026年8月12日号を基に編集したものです。

大前研一

プロフィール マサチューセツ工科大学(MIT)大学院原子力工学科で博士号を取得。日立製作所原子力開発部技師を経て、1972年に経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク入社後、本社ディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長を歴任し、1994年に退社。スタンフォード大学院ビジネススクール客員教授(1997-98)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)公共政策大学院総長教授(1997-)。現在、ビジネス・ブレークスルー大学学長。豪州BOND大学教授。