
この論文から学ぶべき「大前研一メソッド」
<計画を実行すること自体を目的化せず、前提条件の変化を踏まえて、撤退も含めて戦略を見直す>
リニア計画では、工費の増大、工事の難しさ、所要時間の優位性、乗客の需要などの問題がある。これらの問題が組み合わさったとき、当初の投資判断が今でも合理的なのかを問い直す必要がある。
JR東海は、リニア中央新幹線静岡工区のトンネル掘削工事が2027年3月まで着手できないとする見解を示しました。リニア中央新幹線工事を巡る談合事件で独禁法違反(不当な取引制限)罪に問われた大成建設と鹿島建設の有罪が確定し、国土交通省関東地方整備局が、両社に2027年3月まで民間土木工事に関する営業活動の停止を命じたためです。BBT大学院・大前研一学長は、この際、リニア中央新幹線の計画を断念することを提言します。
【資料】建設業者に対する監督処分について
大前研一(BBT大学大学院 学長 / BOND大学教授 / 経営コンサルタント)
編集/構成:mbaSwitch編集部
リニア中央新幹線に明るい未来は想像できない。JR東海には、取り返しのつかない事態になる前に引き返すことを勧めたい。
2014年に認可された建設工事のうち、静岡工区が膠着状態に陥ったのは2017年のことだ。川勝平太前静岡県知事は、トンネル工事によって大井川の流量が減るおそれを理由に、着工を認めない姿勢を貫いた。この区間だけが未着工だった。
風向きが変わったのは、川勝前知事が不適切発言を受けて2024年に辞職してからである。新たに就任した鈴木康友知事は容認派であり、2025年7月18日には自然環境保全協定が締結された。同年8月2日には、地質調査のボーリングが静岡県内で再開された。本体の掘削はこれからという段階だ。約9年間止まっていた時計の針がようやく動き出そうとした矢先に、着工が延期されることになった。
今回の事件とは別に、私は3つの理由からリニアは失敗すると考えている。
まず、地下水の問題がある。トンネルを掘り進め、脆い破砕帯に当たると、大量の地下水が湧き出し、トンネル内に流れ込む。JR東海は、湧き水を導水路で大井川に戻すとしている。説明どおりなら、大井川の流量に深刻な影響は出ないだろう。
私が心配しているのは、地下水を戻す前の段階だ。トンネル工事は、湧き水との闘いでもある。戦後の黒部川第四発電所の建設工事では、資材運搬のために北アルプスにトンネルを掘ったが、破砕帯に突き当たって大量の出水が発生し、土木工事史上に残る難工事となった。発電所の建設全体では171人の死者が出ている。
南アルプスの下を通り、地表からトンネルまでの深さが最大約1,400mに達するリニア工事では、想定を超える大規模な破砕帯に当たる可能性がある。難工事になるほど、事故のリスクも高まる。そうならないことを心から祈るが、作業員の命に関わるリスクを背負ってまで、やるべき工事なのだろうか。
当初、リニアは木曽谷、伊那谷、南アルプスの3ルートが検討されていた。木曽谷や伊那谷にもトンネルはあるが、南アルプスほどの難工事が想定される区間はなかった。しかし、JR東海が望み、国が認可したのは、直線的で総距離が短い南アルプスルートだった。総工費を抑え、名古屋に早く到着できるメリットを重視した選択である。
ところが、実態は違った。南アルプスルートを選んだものの、静岡工区では工事が長期間止まり、その間に資材価格や労務費が高騰した。当初計画では総工費約5.5兆円だったが、2025年の見直しで約11兆円に膨らんだ。
2009年の試算では、伊那谷ルートの総工費は約5.7兆円、南アルプスルートは約5.1兆円だった(いずれも中間駅の建設費を含まない)。伊那谷ルートは1割強高いが、地下水問題で9年間も工事が止まることはなかったはずだ。結果的には、伊那谷ルートのほうが安く済んだのではないかと私は見ている。
「民間事業だから自業自得」では済まない。建設資金のうち3兆円は、国の財政投融資からの借入金だ。リニアを強力に推進したJR東海の葛西敬之名誉会長(当時)は、安倍晋三首相(当時)と極めて近い関係にあった。リニア事業が失敗すれば、返済が滞るリスクもある。国民はすでに、この事業と無縁ではいられないのだ。
当初、JR東海は品川―名古屋間の開業を2027年としていた。つまり、来年の予定だった。丹羽俊介社長は新たな開業時期を明言していないが、会社側は、静岡工区に着手してから開業まで、どんなに早くても10年はかかるとしている。
私が失敗を予言する2つ目の理由は、所要時間だ。リニアは品川―名古屋間を最速40分で結ぶという。ただし、それは途中駅に停車しない場合の話である。神奈川、山梨、長野、岐阜の4県に中間駅が設置される予定だ。各駅に停車する列車をどの程度運行するかは運行計画によるが、JR東海は1時間に1本程度の各駅停車も想定しており、その場合は所要時間が1時間強になるという。
「それでも、のぞみより大幅に速い」と考えるのは早計だ。東京駅からの乗車を想定すると、のぞみは東京―名古屋間を約1時間半で結ぶ。JR東海は、品川駅でのリニアへの乗り換え時間を最短3分と想定しているが、東京駅からの移動時間を含めれば話は違う。東京駅から品川駅まで在来線で約10分。さらに、品川駅で地下40mにあるリニアのホームまで下りるのに約10分かかるとすれば、合計で20分は見ておきたい。これらを考慮すると、各駅停車型では、のぞみとの所要時間の差は10分程度に縮まる。
東海道新幹線の最高時速は285kmだが、カーブを緩やかにする線形改良工事を行えば、東北新幹線のように時速320kmで運転することも不可能ではないだろう。そうなれば、東京―名古屋間の所要時間の差はさらに縮まる。
リニアの時間的な優位性が大きくなるのは、大阪まで延伸してからの話だ。しかし、名古屋以西は駅の位置すら固まっておらず、社長自ら、新大阪駅につなぐ工事は難度が高いと述べている。仮に将来、山陽地方まで延伸したとしても、広島以西は飛行機のほうが速いだろう。名古屋開業までのリニアに、大きな時間短縮効果を期待することは難しいのではないか。
リニアが難しい理由の3つ目は、乗客の抵抗感だ。品川―名古屋間の約86%はトンネルである。車窓の景色は期待できない。地表からトンネルまでの深さが最大約1,400mに達する区間で、万一、列車が止まったらどうなるのか。そう想像するだけで、生きた心地がしない乗客もいるだろう。
JR東海は新幹線と同様に安全に対処できると説明するが、圧迫感や閉じ込められることへの不安は、理屈だけで消えるものではない。それを考えると、乗客がわざわざリニアを選ぶとは思えない。開業当初は物珍しさから人気になっても、リピーターは少ないのではないか。
開業にこぎ着けても、リニアで約11兆円を回収するのは難しい。東海道新幹線と乗客を分け合うだけで、新たな需要はさほど生まれないと私は見ている。そうなれば、JR東海全体の経営も揺らぐのではないか。
JR東海は、リニアの国内建設よりも輸出に舵を切るべきだ。米国には高速鉄道の潜在的な需要がある。東海岸やテキサスには平地が多く、工事の難易度は比較的低いと考えられる。ただし、現実は厳しい。米国東海岸のボルティモア―ワシントンD.C.間で計画されていた超電導リニア計画は、2025年に連邦政府が計画への関与と資金支援を終了した。テキサス高速鉄道は、鉄輪式の新幹線を採用する計画だ。
それでも輸出を念頭に置くなら、日本で失敗する姿は見せられない。今すぐリニア中央新幹線計画を断念し、山梨の実験線を活用して「夢」を売り、機が熟すのを待つことが最適な戦略である。
リニアに執念を燃やした葛西氏は2022年に亡くなった。強力な推進役がいなくなった今、計画を止めることも不可能ではないだろう。損失を少しでも抑えるために、経営陣には英断を期待したい。
※この記事は、『プレジデント』誌 2026年10月2日号を基に編集したものです。
大前研一
プロフィール マサチューセツ工科大学(MIT)大学院原子力工学科で博士号を取得。日立製作所原子力開発部技師を経て、1972年に経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク入社後、本社ディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長を歴任し、1994年に退社。スタンフォード大学院ビジネススクール客員教授(1997-98)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)公共政策大学院総長教授(1997-)。現在、ビジネス・ブレークスルー大学学長。豪州BOND大学教授。