3月中旬以降の世界的な株価上昇局面は、悲観的要素なのか楽観的要素なのか
昨今、「米国の一極集中主義は終わった」「米国が世界の中心である時代は終わった」など、いろいろ言われていますが、それでも私たちは米国を中心に見る必要があると思います。
それは3月中旬から、英国や香港、インド等々、世界の株式市場が上昇するキッカケとなったのは、米国のNYダウが上昇したことが大きな理由として考えられるからです。日本も例外ではありません。日本の株価も、米国NYダウが上昇したことをキッカケに大きな上昇局面を迎えているのです。また、かなり以前から景気刺激策等々を行ってきた中国は、11月くらいからかなり強い指数であったことを改めて確認するタイミングではないでしょうか。
たしかに、上昇局面を迎えていることが一過性であれば、心配の種であり、大変な時代をもう一度経験しなければなりません。しかし一方でこれを「転換点を迎えた」と捉えるのであれば、考え方を大きくシフトする必要があります。どちらと捉えるか、投資家は大きな選択を迫られていると言えるでしょう。
■ノーベル経済学賞のクルーグマン教授いわく、お祭り騒ぎが終わり大恐慌に突入する!?
日経平均株価が2,000円近く上昇を開始するスタートとなった去る3月11日。国内外の株価上昇を受けて、私が発行するメールマガジン『投資脳のつくり方』で「緊急特別リポート」を執筆しました。その記事は、「世界的に下落が続く株式市場。しかし私は、株価暴騰の予感を持っています」という文章で始まります。
しかし世間一般では、やはり悲観論がものすごく多いと思います。
今もそうですが、特にメルマガ執筆時の3月中旬には、「日経平均が7,000円を割るのではないか!?」とまで言われていました。
ノーベル経済学賞を受賞した偉大な経済学者ポール・クルーグマン教授(米ブリンストン大学)も悲観論を展開していました。ニューヨークをはじめ世界のさまざまな株式市場が上がっている時、3月末にニューヨークタイムズWeb版に掲載している自身のブログで<1931年のようなお祭り騒ぎだ>という記事を掲載したのです。
この"お祭り騒ぎ"という表現は、1930年代前半(米国の)大恐慌時代の株価推移に由来します。1920年~1929年には、NYダウが100ドルから381ドルまで急上昇しましたが、1929年にはそれが半値の198ドルまで下がってしまいました。
これを一般的には、「1929年の大恐慌」と呼んでいます。
しかしクルーグマン教授は、「本当の大恐慌とは、1930年代」だと指摘します。
1929年の191ドルから1930年に200ドルまで上昇した時には、「これで不況が終わった!」「転換点を迎えた!」とお祭り騒ぎのようなニュースが多かったそうです。しかし株価は、1932年にはさらに41ドルまで下がってしまいました。
「それと同じようなことが今起きているのではないか?」。
クルーグマン教授は、そう考えています。
もしクルーグマン教授が正しければ、この後、日経平均株価が2,000~3,000円台、例えばトヨタ自動車などの株価が1,000円になってしまうということです。
そうなったら未曾有の大不況どころの騒ぎではなりません。サラリーマンであれば自分の仕事があるかどうか、産業そのものが大変なことになっているなど様々な、とてつもないことが起きる可能性があるということです。
金融の勉強をしている場合ではありません。もしもそうなった時には、すべて現金化して株なんか買ってはいけません。買うとしても株価が下がることに賭けるなど、自衛することを今から考えておかなければいけません。
■クルーグマン教授の金融悲観論は、どこが間違っているのかを正しく検証する!
ではクルーグマン教授のこの考えは、本当に正しいのでしょうか?
確かにクルーグマン教授は、天才的な経済学者です。しかし彼の考えが間違っていて、現在が1931年ではなく、50ドルから200ドルくらいまで上昇する転換点となった1933年前半に相当すると見るのであれば、考え方が大きく異なります。
問題は、現在を1931年(下降トレンド)と見るのか、それとも1933年(上昇トレンド)と見るのかということです。
私は、上昇トレンドに来たのではないかと考えています。
クルーグマン教授に対しては「そもそも前提が間違っている」と反論したいと思います。
当時の大恐慌が長引いた理由は、
1)金融機関に対するセーフティーネットがなかった
2)世界が保護貿易に走った
という、たった2つの理由に集約されます。
1)金融機関に対するセーフティーネットがなかった
1930年代、大恐慌当時の金融機関は"本当に"つぶれてしまいました。この"本当に"というのが、非常に大切です。
例えば日本で言えば、『りそなホールディングス』が事実上国有化されたこと、あるいはUFJが三菱に吸収されたことは、実質的に破綻です。しかし金融機関が無くなったわけではなく、ちゃんと営業していました。米国のシティグループも国営化されましたが、つぶれたわけではありません。
しかし当時は、本当につぶれてしまった。だから自分の預金がかえってくるか否か判らない、取り付け騒ぎが起こる。この金融機関がつぶれたのなら、隣の金融機関もつぶれるのではないかと他の金融機関でも取り付け騒ぎが起こる。そうした事態が連鎖的に起こりました。今から100年近く前の出来事で正確なデータが残っているわけではありませんが、統計的にもすごい数の金融機関がつぶれたそうです。
今は、そこがずいぶん違います。金融は、経済活動の"血液"的な役割を担っていますから、ひとつがつぶれれば連鎖的につぶれてしまう、融資先も駄目になる、その金融機関から借りていた住宅ローンなども駄目になる。こういうことが今は、"起こりにくく"なっています。
2)世界が保護貿易に走った
保護貿易とは、乱暴な言い方をあえてすると、自国さえよければすべてよしということです。しかし今は、自国さえよければすべてよしと思っても、企業の経済活動がグローバルなので、自国が保護貿易をしたいと思っても無理です。昔の日本は、資源や新しい技術ももらえなくなったために戦争に突入し大敗を期しました。
この2つが大恐慌を長引かせた大きな要因ですが、今やそれはありません。
時代や状況が変化しているのに、1930年代前半当時と現在を単純に比較するのは難しい、無理がある。1931年当時と同じ一過性だと考えるのは少し乱暴ではないか。
それがクルーグマン教授に対する、私の反論です。
しかし同時に当時から学ぶべきこと、現在の状況を解決するためのヒントがあることもまた間違いありません。最も注目すべきなのが、「株価が、1930年代の中盤から後半にかけて上昇した理由」であり、私たちは諸先輩方の経験から学び、真剣に考える必要があるのです。
|