3月の株価上昇は恐慌脱出の始まりか【前編】|株式・資産形成講座メルマガ

  2009/5/27(水)  
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3月の株価上昇は恐慌脱出の始まりか【前編】
~クルーグマン教授の再悪化シナリオを検証する~

3月中旬以降の世界的な株価上昇局面は、悲観的要素なのか楽観的要素なのか

 昨今、「米国の一極集中主義は終わった」「米国が世界の中心である時代は終わった」など、いろいろ言われていますが、それでも私たちは米国を中心に見る必要があると思います。  それは3月中旬から、英国や香港、インド等々、世界の株式市場が上昇するキッカケとなったのは、米国のNYダウが上昇したことが大きな理由として考えられるからです。日本も例外ではありません。日本の株価も、米国NYダウが上昇したことをキッカケに大きな上昇局面を迎えているのです。また、かなり以前から景気刺激策等々を行ってきた中国は、11月くらいからかなり強い指数であったことを改めて確認するタイミングではないでしょうか。

 たしかに、上昇局面を迎えていることが一過性であれば、心配の種であり、大変な時代をもう一度経験しなければなりません。しかし一方でこれを「転換点を迎えた」と捉えるのであれば、考え方を大きくシフトする必要があります。どちらと捉えるか、投資家は大きな選択を迫られていると言えるでしょう。


■ノーベル経済学賞のクルーグマン教授いわく、お祭り騒ぎが終わり大恐慌に突入する!? 

 日経平均株価が2,000円近く上昇を開始するスタートとなった去る3月11日。国内外の株価上昇を受けて、私が発行するメールマガジン『投資脳のつくり方』で「緊急特別リポート」を執筆しました。その記事は、「世界的に下落が続く株式市場。しかし私は、株価暴騰の予感を持っています」という文章で始まります。

しかし世間一般では、やはり悲観論がものすごく多いと思います。 今もそうですが、特にメルマガ執筆時の3月中旬には、「日経平均が7,000円を割るのではないか!?」とまで言われていました。

ノーベル経済学賞を受賞した偉大な経済学者ポール・クルーグマン教授(米ブリンストン大学)も悲観論を展開していました。ニューヨークをはじめ世界のさまざまな株式市場が上がっている時、3月末にニューヨークタイムズWeb版に掲載している自身のブログで<1931年のようなお祭り騒ぎだ>という記事を掲載したのです。  この"お祭り騒ぎ"という表現は、1930年代前半(米国の)大恐慌時代の株価推移に由来します。1920年~1929年には、NYダウが100ドルから381ドルまで急上昇しましたが、1929年にはそれが半値の198ドルまで下がってしまいました。 これを一般的には、「1929年の大恐慌」と呼んでいます。


 しかしクルーグマン教授は、「本当の大恐慌とは、1930年代」だと指摘します。 1929年の191ドルから1930年に200ドルまで上昇した時には、「これで不況が終わった!」「転換点を迎えた!」とお祭り騒ぎのようなニュースが多かったそうです。しかし株価は、1932年にはさらに41ドルまで下がってしまいました。


「それと同じようなことが今起きているのではないか?」。 クルーグマン教授は、そう考えています。

もしクルーグマン教授が正しければ、この後、日経平均株価が2,000~3,000円台、例えばトヨタ自動車などの株価が1,000円になってしまうということです。 そうなったら未曾有の大不況どころの騒ぎではなりません。サラリーマンであれば自分の仕事があるかどうか、産業そのものが大変なことになっているなど様々な、とてつもないことが起きる可能性があるということです。 金融の勉強をしている場合ではありません。もしもそうなった時には、すべて現金化して株なんか買ってはいけません。買うとしても株価が下がることに賭けるなど、自衛することを今から考えておかなければいけません。


■クルーグマン教授の金融悲観論は、どこが間違っているのかを正しく検証する! 

ではクルーグマン教授のこの考えは、本当に正しいのでしょうか? 確かにクルーグマン教授は、天才的な経済学者です。しかし彼の考えが間違っていて、現在が1931年ではなく、50ドルから200ドルくらいまで上昇する転換点となった1933年前半に相当すると見るのであれば、考え方が大きく異なります。 問題は、現在を1931年(下降トレンド)と見るのか、それとも1933年(上昇トレンド)と見るのかということです。 私は、上昇トレンドに来たのではないかと考えています。 クルーグマン教授に対しては「そもそも前提が間違っている」と反論したいと思います。

当時の大恐慌が長引いた理由は、
1)金融機関に対するセーフティーネットがなかった
2)世界が保護貿易に走った
という、たった2つの理由に集約されます。


1)金融機関に対するセーフティーネットがなかった

1930年代、大恐慌当時の金融機関は"本当に"つぶれてしまいました。この"本当に"というのが、非常に大切です。  例えば日本で言えば、『りそなホールディングス』が事実上国有化されたこと、あるいはUFJが三菱に吸収されたことは、実質的に破綻です。しかし金融機関が無くなったわけではなく、ちゃんと営業していました。米国のシティグループも国営化されましたが、つぶれたわけではありません。

 しかし当時は、本当につぶれてしまった。だから自分の預金がかえってくるか否か判らない、取り付け騒ぎが起こる。この金融機関がつぶれたのなら、隣の金融機関もつぶれるのではないかと他の金融機関でも取り付け騒ぎが起こる。そうした事態が連鎖的に起こりました。今から100年近く前の出来事で正確なデータが残っているわけではありませんが、統計的にもすごい数の金融機関がつぶれたそうです。

 今は、そこがずいぶん違います。金融は、経済活動の"血液"的な役割を担っていますから、ひとつがつぶれれば連鎖的につぶれてしまう、融資先も駄目になる、その金融機関から借りていた住宅ローンなども駄目になる。こういうことが今は、"起こりにくく"なっています。


2)世界が保護貿易に走った

 保護貿易とは、乱暴な言い方をあえてすると、自国さえよければすべてよしということです。しかし今は、自国さえよければすべてよしと思っても、企業の経済活動がグローバルなので、自国が保護貿易をしたいと思っても無理です。昔の日本は、資源や新しい技術ももらえなくなったために戦争に突入し大敗を期しました。

 この2つが大恐慌を長引かせた大きな要因ですが、今やそれはありません。 時代や状況が変化しているのに、1930年代前半当時と現在を単純に比較するのは難しい、無理がある。1931年当時と同じ一過性だと考えるのは少し乱暴ではないか。 それがクルーグマン教授に対する、私の反論です。

 しかし同時に当時から学ぶべきこと、現在の状況を解決するためのヒントがあることもまた間違いありません。最も注目すべきなのが、「株価が、1930年代の中盤から後半にかけて上昇した理由」であり、私たちは諸先輩方の経験から学び、真剣に考える必要があるのです。

講師紹介
大前研一
株式会社きのしたてるのぶ事務所
代表取締役
木下 晃伸

新刊著書:「儲かる会社はこうして作れ! 1000社徹底取材でわかった「企業を強くする4つの条件」」 講談社 (2008/9/2)

5月13日放送
「金融リアルタイムライブ」より抜粋し、一部再構成したものです。
大前研一学長語録
 ブレークスルー経済学
「経済学」というと敬遠する人が多いのですが、実際には「論理的に物事を考える」際には、非常に便利な道具(ツール)です。ここでは、毎回、金融・投資環境に関する事柄を経済学的に解説していきます。是非この機会に、使い方も含めて、習得していただけたらと思います。

第95回 『「友愛」って、経済に関係あるの?』

民主党の新党首として鳩山由紀夫氏が選ばれ、民主党は、また、自民党に支持率において上回ったようです。このように民主党は、小沢氏に対するいわゆる"説明問題"や"院政"等の批判はあるものの、概ね、国民的には支持が回復しつつあるように感じます。まぁ、それだけ「政権交代」に対する期待が強く、この閉塞感を何とか打開してほしいという国民的な願いの表れといえそうです。

とはいえ、麻生首相が言うように「政権交代は手段であり、目的ではないはず」というのも頷けます。

民主党の議員先生たちの多くは「一度私たちに政権を任せてください」というばかりで、政権交代後の「(具体的な将来の日本経済という)絵」をしっかりと見せてくれる先生たちが少ないように思います。いわゆる「バラマキ政策」以外に「これ」といった政策がないというイメージですし、その財源となると「政権を担当しないと見えてこない部分が多い」ということで、具体性という意味では疑問が残ります。

そのような中で最も国民的に明確さを欠く言葉といえば、何と言っても「友愛」でしょう。

「友愛」はクリスチャンであった鳩山一郎氏(鳩山由紀夫氏の祖父)が政治家としての信条としていた言葉ですから、その意味では鳩山(由紀夫)氏が個人的にその言葉を全面に出して政治を行うということに問題があるわけではありません。

しかし、"民主党の旗印"という意味では、あまりにも唐突な感じがするだけに、言葉の説明についてはしっかりしてほしいものです。国民としては「美しい国、日本」を掲げて登場した安倍元首相のイメージがまだ残っているので、「友愛」というあいまいな言葉に対しては、ある種、胡散(ウサン)臭い感じを受けてしまうのは仕方がないことだと思います。

また、このような経済状態において「友愛」がどれだけの力になるのかについても、多くの人が疑問を持っているところですから、それこそ、ここに重大なる「説明責任」があるのではないしょうか。

そもそも鳩山氏が「友愛」を基本理念として打ち出したのは、96年のさきがけ時代のリベラル合同構想において『両立しがたい自由と平等を結ぶかけ橋』という鳩山一郎氏の論文を引用し、説明をした頃からとされています。つまり、政治的な意味での「友愛」というイメージが強く、何となく、次の総選挙後の政治的合従連衡を示唆しているような言葉に聞こえるのは、私だけでしょうか。

実際はどうであれ、一般用語としては使われていない言葉だけに、もし、これを旗印に選挙を戦うのであれば、その用語説明をしっかりとして欲しいと思います。単にNHK大河ドラマの「直江兼続の"愛"と同じです」というのでは国民は納得しないでしょう。そういう意味で民主党はもう少し国民目線で「友愛」を説明してほしいと思います。

とはいえ、ここでは私なりに「友愛」を解説し、それがどのように経済に作用するのかをお話しします(したがって、民主党の言っている「友愛」とは違う可能性があります)。

まず、言葉の説明ですが、「友愛」とは協同組合などの組織設立における「基本的理念」となる言葉であり、「相互扶助」と同義であると考えられます(まぁ、もう少し広い意味であり、「相互尊重・相互理解・相互扶助」をまとめたものなのかもしれませんが・・・)。この時、「(金銭的な)利」を求めるのではなく、「お互いに不足しているところを補い合う、助け合う」ということが重要になります。ここで「補い合う」「助け合う」という場合、「与えられるばかり」「してもらうばかり」というのはダメであり、「お互いに(つまり、「相互に」)」ということが大切になってきます。

このことから、基本的には「経済学」での用語ではなく、「社会学」に属する言葉と考えた方が良いでしょう。

けれども、経済学でも「効用」という概念があります。この概念を簡単にいえば「人がどのくらい満足に思うか」ということなので、相互扶助(つまり、「友愛」)によって、金銭的ではないものの、何らかの「利(例えば、「心の豊かさ」みたいなもの)」として人々の心の中に沸き起こるのであれば、それはそれで「効用がある」と考えることができます。

以上から、「友愛」が経済学的に意味を持つためには、人々が相互扶助を行うことにより、少なくとも「心の豊かさ」を個々人が感じるような社会状態になっている必要があります。逆に、そのような素地がないまま、政治が関与して「相互扶助」を押しつけるような場合には、イデオロギーの問題に発展し、大きな混乱が起こることになるでしょう。

現状、リーマン・ショックが起こり、個人主義や市場原理主義については、概ね、批判的な機運が高まっていることから、「相互扶助」を政治的に多少強引に押し付けたとしても、イデオロギーの抗争に発展することは少ないように感じます。しかし、「相互扶助」「友愛」というものは、所詮、人々の心の中の問題なので、それによって「効用を得るか否か」は個々人によることになります。

したがって、政治的に「友愛」を取り上げ、それによって個々人(の多数)が効用を得るようになるには、経済的なインセンティブやそれなりの合理性を持った「仕組み」を準備する必要があるといえます。それを実行するのが「政治」ではないでしょうか。

例えば、日本には「寄付という文化があまりない」ということがよく言われます。しかし、日本は、欧米に比べて「寄付」に対する税制的な優遇措置が整備されていないのが現状です。これは「鶏と卵」みたいなもので、「寄付文化がないから、寄付の税制優遇が整備されていない」のか、「寄付に対する税制優遇が整備されていないから、寄付があまりない」のかはよくわかりません。とはいえ、ともかく「相互扶助」「友愛」を政治的に掲げるのであれば、まず、寄付の税制的優遇措置を整備するべきでしょうね。

また、「相互扶助」「友愛」を行うための組織として考えられている「協同組合」ですが、これも会員が300名以上でないと設立が出来ないなどの制約があります。せっかく市民が自ら「やろう」としているのに、法的にそれが許可させていないという現実が、今の日本にはあります。

このような制度的な優遇や自由化というものを打ち出すことで、「友愛」という言葉が、政策目標として国民に認知され、旗印として機能するのだと思います。

加えて、このような「相互扶助」「友愛」という考え方が機能するような社会であれば、その上に「市場」というインフラが存在しても、市場自体が遺憾無く機能するようになるという考え方も大切ではないでしょうか。そもそも「市場」は無機質なので、個人主義に陥りやすい種類のインフラです。したがって、それが暴走すれば、私利私欲だけの社会になってしまうのは合理的な帰結です。しかし、「だから」といって市場は「なくてもよいモノ」ではなく、資本主義社会においては「なくてはならないモノ」なのです。

資本主義にとって大切な「市場」というインフラを活かしつつ、暴走しないようにするには、初めから「市場は失敗する」ものとして考え、市場が失敗しても社会的に問題が起こらないような社会、つまり、「相互扶助」「友愛」というものが機能しているような社会を構築すべきなのです。

そういう意味で「友愛」という言葉を旗印(政策目標)に選挙を戦うことは非常に意義深いことだといえますが、その場合には同時に、そのような社会を構築するための具体的な改革プランを、わかりやすい形で国民に示していただきたいと私は思います。



講師紹介
前田拓生
前田拓生(Takuo Maeda)

ビジネス・ブレークスルー大学院大学オープンカレッジ
株式・資産形成講座 講師
高崎商科大学大学院 高崎経済大学経済学部 他で
「金融論」関係の講義を担当。
著書:「銀行システムの仕組みと理論」大学教育出版
編集後記
 編集後記
事務局 一戸 グローバルマネー・ジャーナル第101号、いかがでしたでしょうか。

最近、東京のとある区民センターに足しげく通っています。

目的は、そこに集まるいろいろな国の人たちと、互いにボランティアベースで英語と日本語を教え合うこと。

教え合うと言っても授業ではないので、話の内容は日常的な内容が多いのですが、そこで改めて驚かされるのは、日本人以外の方の金融リテラシーが高いことです。

投資商品は様々ですが、早い方は学生のうちから自分の貯金で「資産運用」を実践されています。

当然自国の経済についても「投資に必要な知識」とは言え、よく勉強しているなーという感じです。

そういう方とコミュニケーションする機会は、自分にとって大変刺激になります。

来週のグローバルマネー・ジャーナルもお楽しみに!    

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