大前研一メソッド 2026年7月21日

高市首相が皇室改革を急ぐ本当の狙い

imperial family reformこの論文から学ぶべき「大前研一メソッド」
<前提そのものを疑え>

・一般的議論  :どう改正するか
・大前研一の視点:そもそも皇室典範は必要か?
筋が悪い議論を行っていると感じたら「議論の前提そのもの」を疑え

改正皇室典範が2026年7月17日に成立しました。しかし、今慌てて改正する必要はなかったとBBT大学院・大前研一学長は指摘します。このタイミングでの改正は高市早苗首相の得点稼ぎにすぎません。それに振り回される国民、そして当事者の皇室はいい迷惑です。皇室典範改正というルールの厳格化が正しい方向なのか、大前学長は疑問を呈します。

大前研一(BBT大学大学院 学長 / BOND大学教授 / 経営コンサルタント)
編集/構成:mbaSwitch編集部

何のための皇室典範改正なのか

高市首相は就任当初から皇室典範の改正に前のめりだった。自民と維新の連立で誕生した政権は、連立合意に皇室典範改正を明記。2026年2月の衆院選圧勝後の衆院代表質問では「皇族数が減少している現下の状況において、皇室典範の改正は先送りすることのできない喫緊の課題」と意欲を見せた。

この動きを受け、衆参両院正副議長各党・各会派の代表者が議論する全体会議が開催された。2026年6月10日には「立法府の総意」として以下の2つを決定し、政府に法制化を促した。

「女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持する」
「旧宮家の男系男子を養子として皇族に復帰させる」

そして成立した改正では、これらが制度として明文化された。

実はここに着地するまでに一波乱あった。6月8日の全体会議後の記者会見で森英介衆議院議長が、旧宮家の男系男子を養子に迎えた場合、その後に生まれた男子は「皇位継承権を持つ」という見解を示した。この見解に野党が反発。森衆議院議長は謝罪して事態を収拾するに至った。なぜ野党は議長発言に異を唱えたのか。それは皇位継承権に踏み込んだからだ。

全体会議の取りまとめでは、旧宮家の男系男子を皇室(天皇家、上皇家、皇嗣家を除く宮家)が養子に迎え入れると皇族になるが、養子として入った本人には皇位継承権がないというところまで合意ができた。たとえば旧宮家の一つである竹田宮家のタレント竹田恒泰氏が、常陸宮家、三笠宮家、高円宮家の養子になっても、本人が天皇になることはありえない。ここまでは野党も異論はなかったわけだ。

問題は、養子が結婚して男子が生まれた場合である。子は男系男子の皇族で、皇室典範の他の条文がそのままならば皇位継承権を持つことになる。森衆議院議長の見解がまさにそれだった。

ただ、養子本人に皇位継承権は与えないと決めたように、その子に皇位継承権を与えるかどうかも皇室典範で決めることはできる。野党は養子の子に皇位継承権を与えたくない。そこで全体会議は養子の子の皇位継承権問題についてはあいまいなままにして「立法府の総意」とした。

しかし成立した改正では、養子本人には皇位継承権を認めない一方で、その子孫の男系男子には皇位継承権を認めることが明記された。また、養子縁組を原則禁じる現行典範9条の例外として、1947年に皇籍離脱した旧11宮家出身の男系男子に限り、一定条件(15歳以上・独身)で養子となることができる規定が新設された。

そもそも皇室典範改正の背景には、皇位継承権を持つ男系男子は現在、秋篠宮皇嗣殿下と悠仁親王殿下、常陸宮正仁親王殿下のわずか3人だけであり、ほかにも皇位を継承できる皇族を確保したいという事情があった。

一方、今回封印されたテーマもある。女性・女系天皇の問題だ。愛子内親王殿下は国民的な人気が高い。共同通信が2024年4月に実施した世論調査によると、女性天皇を認めることに対して、「賛成」は52%、「どちらかといえば賛成」は38%で、両者合わせて90%。反対はわずか9%だった。男女平等の意識が社会に定着してきたこと、『週刊新潮』のアンチ秋篠宮家キャンペーンが影響しているとの見方もあるが、いずれにしても国民の多くは愛子天皇の誕生を望んでいる。

なぜ愛子内親王殿下は天皇になれないのか。その質問を孫にされて答えに窮したことがある。孫世代はAIネイティブ。おじいちゃんより生成AIが頼りになるらしく、さっと調べて「過去には推古天皇がいたじゃん」と指摘されてしまった。

実際、これまで日本には8人の女性天皇がいた。歴史が愛子天皇の誕生を禁じているわけではない。愛子内親王殿下が天皇になれないのは、皇室典範第一条に「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と書かれているから。それだけが理由である。

皇位継承権を持つ皇族が少ないことが問題なら、第一条を書き換えれば済む。しかし政府案はそこに一切触れない。野党の中には、全体会議で女性・女系天皇についての議論が排除されたことに反発した党もあった。「立法府の総意」というが、取りまとめた内容に賛成したのは7党のみ。残る6党派は反対だった。「立法府の総意」というものに大きな疑問が投げかけられた。火に油を注いだのが憲法改正実現本部長の中曽根弘文氏の発言だ。「愛子さまが皇位を継承して天皇になったら婿になる人はいない、皇位継承は人気投票ではない」など問題のある発言である。

急ぐ必要のない問題に危機を煽る高市政権の思惑

この問題は放置が正解だ。

まず皇位継承の議論を急ぐ必要はない。今上陛下は66歳だ。その後の秋篠宮皇嗣殿下は6歳下の同世代なので在位は短い期間になるかもしれないが、その次に皇位継承権を持つ悠仁親王殿下はまだ19歳であり、健康ならあと50〜60年は天皇が空位になる心配はない。あと20〜30年は現状で何も問題がないだろう。

高市政権は慌てる必要がない問題について危機を煽って、改正を急いでいる。

透けて見えるのは、高市首相の政治的動機である。高市首相は就任以来、目立った成果をあげていない。話題になるのは、空回りしている外交とサナエトークン・中傷動画問題くらいのもので、高い支持率に陰りが見え始めた。

今回の制度設計では、女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持し、旧宮家の男系男子を養子として迎えることが可能となる。その文脈において、自民党副総裁の麻生太郎氏の実妹である信子さまが属する宮家も、養子受け入れの主体となり得る立場にある。こうした点を踏まえると、高市首相が麻生氏との関係を意識した政治判断を行っている可能性も否定できない。

また、高市首相は旧安倍派ではないが、安倍元首相の継承者であることをアピールして保守層の支持を確固たるものにしたい。本来、慎重に国家の根幹として議論されるべき皇位継承権というパンドラの箱を、高市首相が自らの右派・保守層への人気取りという俗世的な政治動機のために利用しているのだ。

今このタイミングで皇室典範を改正するのはナンセンスだが、「そもそも論」をいうと、私は皇室典範そのものが不要だと考えている。

日本の皇室は2000年以上の歴史があるとされている。歴史については諸説あるが、長く続いてきたことはたしかだ。では、なぜ長く続いてきたのか。それは明文化されたルールに縛りつけられてこなかったからである。

日本の長い歴史の中では、天皇が主役となった時代もあれば、存在感がほとんどなかった時代もあった。また、皇室内部でも権力争いがあり、一定のルールのもとに皇位が継承されてきたわけでもない。ときどきの事情に合わせ柔軟に対応してきたから存続できた。

皇室のことは皇室に委ねよ

ところが大日本帝国憲法(明治憲法)の成立と同時に旧皇室典範が定められ、皇室は国家が定めた明文のもと、ある意味で管理される存在になってしまった。明文化すれば、その改正や解釈が政治争点化して、高市首相のようにそれを自らの野心のために利用しようとする政治家も出てくる。明文化は、むしろトラブルのタネなのだ。

それならいっそ明治より前に時計の針を巻き戻し、皇室の中のことは皇室でお決めいただいたほうがいい。政治家や国民が皇室の中のことに間接的にでも介入するのは不遜というものだ。

余談だが、ワコール創業者の塚本幸一氏は熱烈な天皇崇拝者だった。京都だけでなく東京にも本社を置くことになったときは、「陛下のお近くにいたい」と皇居のすぐ隣にビルを建てたほどだ。私は竣工後に呼ばれてお邪魔したが、皇居側には窓が見当たらなかった。窓から見下ろすのは不敬にあたるというわけだ。ただ、秘書が退出して2人だけになったとき、実は隠された丸窓が2つあり、開ければ皇居が見えることを教えてくれた。そこからこっそり拝まずにはいられないほどの心酔ぶりだった。実際、黒川紀章が手掛けたその丸窓は、外から見ると、江戸時代の天文図を模したとも言われる、芸術的な意匠で処理されている。

そんな塚本氏が「陛下は東京に行幸されただけ。いずれ京都の御所にお戻りになる」という趣旨の発言をしたことがある。それに対して右翼団体が激怒。京都の塚本邸の玄関に、火のついた乗用車が突っ込む事件が起きた。極右勢力にとって、下々のものが陛下の住む場所について言及すること自体が不敬にあたるらしい。

だとしたら、皇位継承権について政治家や国民があれこれ言うのは、なおのことおこがましいことではないか。皇室内部のことは皇族の皆様にお任せしておけばいいのだ。

今すぐ皇室典範を廃止するのは現実的ではないが、少なくとも明文化をさらに進め、皇室への縛りをきつくするようなことをしてはいけない。皇位継承問題はパンドラの箱。緊急性が低いのに手を突っ込めば、国民の分断を招くだけである。それが皇室の方々のお気持ちに沿うものなのかどうか、あらためて考える必要がある。

※この記事は、『プレジデント』誌 2026年7月31日号、「大前研一ライブ ♯1320」2026年7月19日配信 を基に編集したものです。

大前研一

プロフィール マサチューセッツ工科大学(MIT)大学院原子力工学科で博士号を取得。日立製作所原子力開発部技師を経て、1972年に経営コンサルティング会社マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク入社後、本社ディレクター、日本支社長、アジア太平洋地区会長を歴任し、1994年に退社。スタンフォード大学院ビジネススクール客員教授(1997-98)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)公共政策大学院総長教授(1997-)。現在、ビジネス・ブレークスルー大学学長。豪州BOND大学教授。